国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   良いケンカの仕方   ポッター

良いケンカ
                          ポッター
 率直に言うと、ケンカは良いことである。第一文目からこんなことを書くのもなんだが、ケンカは良いことだ。その理由を言う前に、そもそも「ケンカ」の種類を知ってもらいたい。
 まず、「ケンカ」には大きく分けて二種類のケンカがある。一つは“良い”ケンカ、もう一つは“悪いケンカ”だ。「ケンカなんてどれも同じ」と思うだろうが、この二種類は全く違う。では、どこが違うのか。それを、これから説明したいと思う。
 “良いケンカ”とは、お互いの考えがわかる、気持ちがわかるようなケンカだ。あえて(?)手は出さず、言葉でケンカをする。本音でぶつかり合い、相手の気持ち、考えを理解し、自分の意見と両立させる。そして、お互いに相手の意見を自分の中に取り込む。これが、良いケンカの仕方である。
 “悪いケンカ”とは、お互いの気持ちを考えずに、ただ勝敗を決めてしまうだけのケンカだ。よく漫画であるような、不良同士のケンカである。高校生同士で殴り合いや蹴り合い、さらにはなにか木刀や長い棒などの武器になるようなモノを持ってやりあう。これはもう、「ケンカ」ではなく「戦い」である。このようなケンカは、お互いのことを理解することが出来ない上に、ただ、傷
を増やしているだけでしかない。これは、してはいけないケンカなのだ。
 では、本題に戻ろう。私が、「ケンカは良い」とする理由は二つある。
 一つ目は、“良いケンカ”の説明にもあったように、ケンカをすることで相手の意見や気持ちがわかるということだ。
 私は小さい頃から、たくさんの子と様々なケンカをしてきた。言い争いや奪い合い、ときにはちょっとした暴力でのケンカもあった。その中で、私の心に深く刻まれたのが、小学五年生のときにしたある一つのケンカだ。
 休み時間に男子がじゃれ合って遊んでいて、私はそれを横で見ていた。数人の男子の中に女子一人が混ざっていて、周りから見ればおかしな風景だったが、私はさほど気にしてはいなかった。男子二人(AとB)がじゃれ合っていたときに、AがBに首絞めをした。初めはBのほうもふざけて、「くそっ、ならこれでどうだ!!」なんてことを言って肘突きをしたりしていたので、周りも「アハハ」と笑っていた。しかし、のちに行為がエスカレートして、殴り合いや蹴り合いなどの、「ケンカ」になってきた。しかもそのとき、Bが壁に頭をぶつけて、出血してしまったのだ。周りで見ていた私たちは、「これ以上はさすがにヤバい。もう止めた方がいい」と思い、仲裁に入った。
 「もうやめろよ! 血が出てるじゃん!!」
「いいんだよ!! だって向こうがやってきたんだ!! やり返さなくちゃ気が済
 まない!!」
「ふざけんな!! そっちがやってきたんだろ!?」
「もういいよっ!!」
みんなで二人を抑えてなんとかやめさせたが、それでもまだ睨み合っていた。どちらが悪いとは言えない…むしろどちらも悪いが、言いたいことはわかった。
Aの方は、「じゃれ合ってやったつもりなのに、Bが本気で殴ったり蹴ったりしてきたから」という言い分。Bの方は、「Aが先に首を絞めてきたから、自分もふざけてやり返したら、向こうがまたやってきた」という言い分。どちらも言い分は似ているが、結局はどちらも悪かったということだ。その後、二人だけで話し合いをして、その件は解決したらしい。次の日は二人とも傷だらけだったが、「これは俺たちの仲間の証だ」なんてことを言って、ケンカをする前よりも仲良くなっていた。
 「力のケンカではお互いは解り合えない」という言葉を、私はこのときに知った。この二人は力のケンカで解りあったが、力で問題を解決させようとしてはいけない。“言葉の交わし合い”で問題を解決させることが、一番良い方法だと思った。
 理由の二つ目は、ケンカをすることで、「良いケンカの仕方」を学べるからだ。今、人は色々なことが下手になってきている。学力低下の問題などが例だ。そしてその中に、ケンカも含まれている。
 親子げんかを例にして挙げてみよう。今、親子げんかというと、暴力や力でやるなど、いわゆる「虐待」という形になってしまっている。以前テレビのニュースで放送されていたが、中学生が親とケンカをして、親を殺してしまった
事件があった。親子げんかというよりも、親が子供を、「子供として扱わなかった」ことが原因だったようだが、それも話し合えば解決することだと思う。しかし、その背景には、友達とのケンカよりも複雑なものがあるのだ。
 親子げんかの大きな原因は、親と子供が一緒にいる時間が少ないことだと思う。今の時代は、男女平等の時代で、男性も女性も職が持てる。そして、親が二人とも働いている家庭は、子供は一人、もしくは兄妹(私の場合)だけで過ごさなければいけない時間というものがあるだろう。
 私のクラスでは、クラスの三分の二くらいが「両親が夜遅くまで働いていて、兄(姉、妹、弟)と二人だけ」とか、「お父さんが海外出張で、お母さんが働いているから自分一人だけ」という人がたくさんいる。そのような場合、親子の団欒が少ないので、自分の気持ちや考えをいう時間がない、もしくは、話すことがないという状態になってしまい、いざ本音をぶつけ合っても、結局は力で終わらせるしか出来ないのだと思う。
 けれど、一緒にいる時間が増えれば、親子の関係も深まる。「今日は学校で何があった」とか、「今日の給食は美味しかった」というように、何でも良いから話せば、それだけでも絆は深まるのだ。
 「上手な親子げんか」をするためには、一緒にいる時間を増やしたり、一言一言自分の考えや意見を伝えることが大切なのだ。
 確かに、ケンカをしたことでその相手と気まずくなってしまったり、もう話すことがなくなってしまうこともある。しかし、「雨降って地固まる」ということわざがあるように、ケンカをしたことでお互いを解り合い、より関係が深まることもあるのだ。また、学生時代にケンカをして、二度と顔を合わせることがなくなってしまっても、大人になって考えてみると解ることもあるという。ケンカは、一度の人生の中で、必ずしなければいけないことだ。ケンカをすることで、人間関係が深まったり、相手の意見を受け容れることが出来るようになる。「ケンカ」という“解り合うための序章”が、人生の手助けをする大切な一つだと私は思う。

   講評   inoko

 ポッターさん、こんにちは。人付き合いも下手、けんかをするのも下手。人間はひとりでは生きられないのに、現代人はいい意味でも悪い意味でも、人と関わることが本当に下手になっています。他人と関わることで、自分自身を知ることもできるのですから、現代人は損をしていることになると思いますが……。
☆ 最初に二種類のけんかについて説明してから、本題に入ったところは、なかなか新鮮。親子の問題について触れたことで、けんかについて深く考察したことが強調されましたね。「解り合うための序章」も効果的でした。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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