国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   映日花の花   惣流・アスカ・ラングレー

 お母さん、せみは、なぜミンミン鳴いてばかりいるの」と子どもがたずねる。「なぜ、鳴いているんでしょうね」と母親が応じると、「お母さん、お母さんと言って、せみが呼んでいるんだね」と子どもが答える。そして、自分の答えに満足して再度質問しない。これは、子どもが自分で「説明」を考えたのだろうか。・・・(中略)・・・現象を「説明」するための話は、なるべく人間の内的世界をかかわらせない方が、正確になることに人間がだんだん気がつきはじめた。そして、その傾向の最たるものとして、「自然科学」が生まれてくる。「ふしぎ」な現象を説明するとき、その現象を人間から切り離したものとして観察し、そこに話をつくる。
 人生15年、私も、言葉では説明できない現象をたびたび体験したことがある。説明してもよいが、それを言うと精神異常者と勘違いされては堪らないので、今は言わないことにする。・・・とは言い切ったもの、やはりここで私が「不思議な現象」とやらを話さずには話がすすまないので、話す。私は、昔、死んだ曾祖母と話したことがあるのだ。まだ曾祖母が生きていた頃、私は彼女が大好きで、同時に最も尊敬していた。ところがある日の真夜中、深夜3時頃、曾祖母は病気であの世へ逝ってしまったのだ。その時から、私の不思議な体験はすでにして始まっていたのだ。私はちょうどその夜、葬式の夢を見ていた。親戚が集まって皆手に菊の花を持ち、不気味なほど真白で何も無い空の下で、私は葬列の中に居る。棺を前に、祖母や母が泣いている。私は何が起こったんだろう、と思い母に「何でないてるの」とたずねると母はただ「あなたのひいおばあちゃまがね、死んじゃったの」と言った。私は呆気にとられて言葉一つ返せなかった。「死」とはこういうものか。こうして、ついさっきまでそこに居た人がふっといなくなる・・・、そして永遠にその人と別れを告げる。これが、「死」か。私はただそう思い、目を覚ました。すると、急に祖父が部屋に入ってきて、「わかちゃん、実はおおばば(曾祖母)、ゆうべ亡くなったって!」と言った。祖父の話によると、私はその時いたって平然と「そうだよ」と答えたらしい。私はすでに曾祖母の死を知っていたのである。これは、曾祖母の死から9年経った今でも覚えている程のことだから、紛れも無い事実なのであろう。そして、ここから私の不思議な体験がはじまる。(信じる、信じないは個人の自由。信じない人はそれまで)
私はある日、一種の恐怖体験をすることになる。曾祖母の法事から49日目のある晩である。私は、いつもどおり、布団で寝ていた。
だがその日は寒く、私は体中(顔まで)毛布に包まっていて真っ暗で何も見えなかったのだ。そんな状況私はふと夜中に目を覚ました。
とたん、誰かが私の布団の周りを歩いているような、そんな音と気配がするのだ。あの時確かに、「かさ、かさ」と誰かが私の布団の周りをぐるぐる回っていた。恐ろしくて顔もだせなかった。私は毛布の下でただ怯えていた。いま、ここで毛布をとったらもうお終いかもしれない、子供心にそう思った。ただ、(此れは夢か現か、ここからの記憶ははっきりしていないが)私は顔を出す勇気はなかったがそのものの正体をつきとめるだけの好奇心はあった。私は恐る恐る、毛布のなかにもぐりこんだまま足の方にある毛布を少しだけのけ小さな穴を作り、毛布の中からこっそりとその穴からのぞきこんだ。すると、誰かの足がその穴の前を通過していったのだ。ああ、恐ろしや。・・・そして15歳になったある日、私は学校生活に疲れ、本当に泣きたくなる位嫌になる日が続いた。そんな時、私はある本を発見する。曾祖母が作った詩(俳句?短歌?)集だった。曾祖母は生前から詩の名人で、地元ではけっこう活躍していたようである。私はそれを全て読み返した。読んでいるうちに、曾祖母の心臓のリズムのような、優しく、温かい空気を感じた。最後のページにさしかかった時、一枚の写真が差し込まれていた。曾祖母の生前の写真である。その写真の曾祖母は着物を着ていてまことしやか、まさに大和撫子といってよい、美しく清楚な日本美人である。私は懐かしさのあまり、その写真をのめりこむように眺めた。ああ、この方が生きておられたらきっと私の悩みを聞いてくだすっただろうに・・・もう二度と会えないけれど、私の心の中であなたは今でも生きているから、見守っていてね。そう思った、その時、一瞬の出来事である。写真の中の曾祖母は微笑った。まことに一瞬のことであった。

   講評   nane


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