低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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名を残さずに モララエル
今も日本がすばらしい手仕事の国である。西洋では機械の働きがあまりにさかんで、手仕事の方はおとろえてしまった。なぜ機械仕事とともに手仕事が必要なのだろうか。機械に頼らなければ作ることのできない品物があるとともに、機会では生まれない品物もあるからだ。欧米と比べると、日本はまだ手仕事に恵まれた国である。作り手は、品物で勝負しているのであって、名で勝負しているのではないからである。
それのよく分かる例をひとつ挙げるとしたら、女の人のバックである。これには、非常にこだわる。このような、機械で作られた品物を、死んだ品物と呼ぶとしたら、母さんに、一から作ってもらった自分のかばんは、生きている、とぼくは感じる。それに、機械で作られたものには、少しだけ、雑なところがある。雑なつくりのものを買うだけ、安物買いの銭失いである。
年賀状でも同じである。パソコンで出したものより、手で書いた方が、もらうほうは、断然うれしい。それは、こころがこもっているからである。
家庭科の勉強の時、文化祭に出す、縫い物をすることになった。それらが完成すると、全部に名札を付け、展示した。ぼくはこれ見て、職人と美術家で、どちらかというと、美術家に近いと思う。それはなぜか。それは、外から来る者と中から見るものの反応である。まず、外から来るものだが、これは、文化祭の時などに来る親のことである。こういう人たちの、
「○○さんの作品、すごいですよねー。」
のようなことが、一つ一つと、名を残すための作品に近づいていく。この、ある人をとくていするだけでまたいっぽ、近づいていく。」 もうひとつは、中から見る者である。これは、金賞とかを決める人のことである。例えば、○○さんの作品が、○×賞に選ばれたとしよう。この○×賞に、一番最後まで残るのは、作品ではなく、作者なのである。しかし、ぼくは作者の名より、作品を残すべきだと思う。自分の名前を残すために描くなんて、おかしいからだ。もしも、なをのこすためにかくのだったら、それは、描きたいのは絵なんかじゃない。自分の名前である。
「自分の作品で勝負したい。」
と、考えるのは職人である。彼らは、名を残すより、作品を残したいと考えている。
いくら無名の職人にも、その人の、仕事への誇りはある。
だから、こういう職人たちを決してばかにしてはいけない。
講評 takeko
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