創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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死 LOVE
人は二足歩行で手を開放し、その手に道具を扱う役割を持たせ、それを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。こうして我々は狩られる感覚をすっかり忘れてしまった。だから自分より強くて速い相手に狩られることはそのまま極端な不幸であるという単純な認識にこりかたまってしまっている。食われることは不幸である。しかし、追われる立場で自分の脚力だけを頼りにからくも逃げ切ること、相手の存在に一瞬早く気づいて巧みに回避することさえ、大いなる喜びがこめられているのかもしれない。動物の場合、われわれとは死の概念自体がずいぶん違うのではないかと思うのだ。彼らにとって死とは、衰弱した精神が描く単純で強烈な恐怖の源ではない。我々の精神は死という言葉を聞いただけで毛を逆立てる。だが死とは、本来、ひとつの成就、ひとつの完成、ひとつの回帰である。果たして生きることではなくただ死なないことに、それほどの意義があるのだろうか。周囲の世界から孤立した想像力。それに追いまくられてつのる死の恐怖の行き着くところには、やはり不幸な死しかないだろう。肉食獣に追われて逃げ切るか食われるかはひとつのゲームである。誰もがこの危険なゲームを楽しんでいる。ただ人間だけが知力でこのわなの仕掛けを逃れて確実に餌をただ取りする方法を考案し、甘美なはずの餌の味をすっかり退屈なものにしてしまった。食われることとは、あるいは死ぬこととは、固体の中に宿る個としての意識、連続的な意識の喪失である。近代の宗教がまことしなやかに語る安らかな最期や大往生の準備とは、実は失われた野生動物と狩猟民族の精神の回復ということではないのか。
学校の定期テストがそうである。「いつかテストするから」といわれてもあまりやる気が起きない。目標があまり定まっていないからである。しかし「○日から定期テストです」といわれたらやる気が起きる。これは、○日のため、と明確な目標が定まっているからだと思う。
死。これも人間の人生の締め切りといえる。しかし、いつ締め切られるかはわからない。だからわたし達は人生の多くを無駄に過ごしてしまうのではないだろうか。わたしはこの間「ママでなくてよかったよ—小児ガンで逝った8歳498日間の闘い—」という本を読んだ。食事が食べられる、トイレにいける、しゃべれる、この一つ一つができたときに感動を表す言葉が書いてあった。わたし達はこれら一つ一つをいつも気にもせずにしている。このようにできて当たり前である、という前提ですべてを行っている。そのためすべてが退屈になってしまっている。この本のシゲくんは目の前に締め切りが迫っている。しかし前にも書いたとおりわたし達にはしめきりはわからない。だから当たり前にしていることのすばらしさが全くわかっていないのだと思う。
人間は死を克服しようと進歩してきた。前にも書いたとおりわたし達は無駄に毎日を過ごしている。「限られた人生で、大事なことは、『何をするか』ではなく『何をしないか』であるという名言もあるように締め切りを意識して無駄に過ごすことなく有意義な人生を送るべきだ。
講評 kanimo
12・1
課題文の内容が十分に理解できていてよいです。
しかし、要約が長いのです。今回については半分から三分の二の長さに削ってください。
つまり、一番大切なものと、そこそこ大切なものを見分ける練習をしましょう。
全部大事なのではなくて、その中でも、優先順位をつけてほしいのです。
体験事例については、余命が短い少年の話について説明できていてよいです。
このとき、自分の日常と比べてみましょう。
無駄が多かったり、やる気がでていなかったりと、彼に比べるとなんてもったいない生き方なのでしょうか。
でも、反対意見もあります。
ゆったりとした時間、ゆっくり流れている時間、漠然とした未来も人間にとっては大切ですよね。
このように自分との比較と、反対意見についても書いてみましょう。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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