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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   外国人に日本語を   えにほ

日本語の文化と英語の文化との常識が少し違う。日本語の場合、親しくない関係の人、目上の人に対しては,否定の反応をあまり協調しない。かえって協調すると自分の我をおしているようで礼儀正しくない。相手との会話を維持する上で,否定的な反応をさける方が正解である。日本語では話相手の意向に対して否定する事に成るので,強く言葉にださない。しかし、 言葉以外の方法か言葉を濁して柔らかく否定を伝達する事ができる。これは、ちょっとした会話のエチケットかもしれない。そんな日本語のやりとりは当然外国人には分かりにくい。日本の人間関係に慣れてない外国人は日本人が訊いたらきついほどに、時たま「いいえ」と返答してしまう。英語の場合,イエスとノーが比較的はっきりし、自分だけの利害が関係している場合は特に、それがはっきりしている。英語の場合はその言葉の事実に対して反応しているだけなのではっきりできるのが一般的である。

英語の世界,少なくとも北米では自分の好き嫌いをはっきり言い、その上説明する習慣を小さい時から教えられる。もし質問を受ければ『イエス』か『ノー』かが問われている事がはっきりしている場合は、なんの躊躇も無く答えるのが普通である。日本の思いやりは文化的なものだ。一旦断っても,もう一度念の為にと,お菓子のお皿がまわってきたり、『大丈夫?』と顔色を伺われたり、細かくお客さんの対応をするのが日本である。思いやりと言えば,アメリカ人もいろいろ易しい思いやりのある人が多いように思う。お店でもアメリカではサービス精神旺盛。カナダ人はどうした事か,アメリカ的なサービス精神に欠けている。とにかく、英語の世界は言葉ではっきり表示するのが礼儀となっている。その点、日本語より単純である。知り合いの日本人の友達が,アメリカから戻ってカナダの税関を通った時、生憎引っかかり幾らか払うはめに成ったらしい。あまり高額ではないが,買った物の申告をせずに通関しようとしたのだった。私の経験では、つまらないものでも淡々と並べ申告すると、問題なく気持ち良く通してくれる。それに比べ,かなり昔になるが、大阪の伊丹に降りた時の経験は今も思い出す。綿密に荷物を調べられ、『変な物は持ってかえっていませんね?』と目からのぞくようにゾートするほどに見つめられてしまった。あれは非常に変わった検閲の仕方であった。
日本語の世界、東京では皆思いやりにしてもはっきりして分かり易い様に思う。あまり良く知らないのだが,東京は国際市で,英語の感覚に近いように思った。私は関西出身だが、京都,大阪、神戸、電車で1時間以内で行ける距離なのに言葉も人間関係も違う。思いやりの言葉の響きも違う。京都弁は癖もので,やんわり聴こえていても断られている場合がある。日本語ははっきりしないと言うが,関西弁で身内や友達の間ではなんでもあっけらかんに表現ができる事がある。要するに、言葉はその文化を一緒に運ぶ。そう言えば、カナダに住む様になって当分の間は振る舞いの端々にカナダにはない日本の女性の雰囲気が漂っていたらしく、それに微笑ましく反応するカナダ人にはどう答えてよいか戸惑った。日本では女性らしさからほど遠い自分であったから、なぜと改めて驚いたのである。カナダに長年住む間にそんな女性らしさも無用の長物になっていつの間にか無くしてしまったようである。

文化の違いを理解するのは大切である。しかし、理解するまでに、日本語で強く『いいえ』と答えている外国人のような間違いを犯しながら学ぶものも多い。
言葉を使う上で,聞き手、読み手の文化に合わせるのが筋道であろう。ナポレオンが『人はその制服どおりの人間になる』とはいったが、いろんな文化に通じれば、人間の幅も増やす事ができると思う。

   講評   unagi


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