創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   効率よく切磋琢磨する   うさぴょん

 今日の都市生活に欠かせない行列という社会現象がある。行列という形式そのものは、カラハリ砂漠の狩猟採集民サン人が狩りなどで遠出するときにも組まれ、西洋では戦争の捕虜を行列させたことが古代の歴史書にもみえる。しかし、モノを手に入れたりサービスを受けたりする順番を待つ行列は、近代の工業化社会に特有のものだろう。小さな個人商店では並ぼうとする買い物客はいないが、スーパーマーケットでは工場のアセンブリィ・ラインのように、客がレジで列を作ることが前提にされていることは行列の工業社会的性格を端的に示している。しかし、イギリス人やアメリカ人が行列をあたりまえのように考える反対に、ギリシアなどヨーロッパでも工業化がおくれた社会の人びとには、そんな行列もヒツジの群れのようにみえるらしい。民主主義には一定の均質性が必要だが、行列を見ていると、工業化社会が近代民主主義の母胎であることがよく分かる。
 「行列という社会現象」という野村雅一氏の言葉はまさにピッタリで、行列の持つ性質をよく表していると思う。私もよく並んだりするが、その様子を見ると一体どこから沸いてくるのかと思うくらいだ。ではその社会現象は社会にどのような影響を与えるのだろうか? 果たしてそれは吉と出るのか、凶と出るのか。私は行列が社会に良い影響を与えると考える。その理由の第一が効率が良いからである。
 どのような点で効率がいいのか。例えばディズニーランドのことを例に挙げてみよう。ディズニーランドには様々なアトラクションやイベントがある。「プーさんのハニーハント」にも「スペースマウンテン」にも(笑)たくさんの人が押しかける。それを効率よくさばくのが「行列」である。たくさんの人がわっと詰め寄ったのでは話にならない、そんな考えから出来た形なのかもしれない。一気に大勢の客が来れば自分の順位を主張し始めるのは自然なことだ。誰だって面白そうなもの、楽しそうなもの、興味のあるものには早くチャレンジしてみたい。けれどもわめいたって始まらない。さて、どうしたらいいものか。そこで列を作るという発想が出てくるのである。列の作り方は簡単で、自分より先に来た人の後ろに並べばいいだけのことである。これだけで自分の位置のことで悶々と悩んだり、他人と「どちらが先だ!」という水掛け論的な争いも無用ですむのである。野村雅一氏の調べによると、ギリシアやアラブなどでは横並びになることもあるそうだ。例えばギリシアの役所や銀行では処理しやすいものから答えていくという方式をとる。これは日本では考えられない。難しくても先に並んだものの方が優先されるからである。<長文実例>この列が長蛇になって行列と呼ばれるようになる。この行列は人を呼び寄せる。——それが第二の理由だ。<複数の理由一>
 人が人を呼ぶ、ということは行列が一種の宣伝となっているわけだ。人が並べば並ぶほどさらに人が集まってくる。これの繰り返しで行列はできている。自分の番になるのを待つというのは最初や終盤は楽しい。並びはじめにどんな品物なのか、人々が並ぶほどの価値があるのかどうか、カタログやパンフレットを眺めながら想像するのはなかなか楽しいものだ。終盤にさしかかれば、いよいよ品物と相まみえることになるのだ、あるいは会計だとなりワクワクするだろう。しかし、問題は中盤である。一通り眺めた後は、辺りを見回す。そうすると新たに欲しいものや珍しいものが見つかるわけだ。すると、
「ここが終わったら次はあそこへ行こう! 」
という流れになるのだ。だからこそ、どこの店も目を引くようなデザイン(時にはシンプルに)にしたり、フェアを行ったりするのだ。あるいは、列に並んだ時間を利用してもらうためにチラシを配ったり渡したりする。<複数の理由二>
 ただし、行列を作るということが必ずしもプラスの力を持つとは限らない。なぜならば、列はルールで成り立っているわけで、必ずマナーを守らなければいけないからである。魯迅の「もともと地上に、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる。」という言葉がある。それを借りれば「もともと地上に、列はない。並ぶ人が多くなれば、それが行列になる。」と言えるだろう。だからこそ、人工の産物である行列にはいくつかの暗黙の掟がある。行列を作るとき、または自然にできるとき、人は深く考えないものだが、あるルールにのっとった上で並んでいる。それは常識的なことだからこそ、深く考えたり良く確認したりしないのだ。そのルールの中でも最も根本的なことは「他の人を抜かさないこと」である。これを守っているからこそ列ができて、行列ができるのだ。また「並んでいるときに人に迷惑をかけるような行為はしないこと」などというのもルールの一種であると思う。最近これらの約束が破られていることがあるような気がしてならない。思い当たる節がある人もいるかもしれない。私も急いだり友達と一緒に並んだりしているとそうなってしまうことがある。もちろんこれは理由ではなく、言い訳であろう。だから、確かに行列をなすことにはデメリットもついて回る。だがしかし、みんながこの当たり前のルールを守ればいい話なのだ。これはとてつもなく、この上なく難しいことではない。心の悪魔の囁きと戦えば実行できるはずなのだ。<反対意見への理解>
 客側にとっても、店側にとっても効率の良い列を作るように心がけていきたいと思う。<是非の主題>

   講評   nara

 行列がいいか悪いかなんて、考えることはあまりないね。世の中のほとんどのことには、いい面もあれば悪い面もある。そのどちらを汲み上げるかということだ。なので、今回の意見も、「行列はいい」というのも正解だし、「行列は悪い」というのも正解。複数の理由でより納得できるものを提示した方が、他の人から賛同を得るということだね。
 第1理由:確かに、行列は唯一「早く並んだ順」というルールによってのみ運営される。声の大きさや図々しさなどで順が覆されたら、行列は成り立たないものね。ところで、スーパーのレジでたまたま自分が並んだ列の前にいる人が、大量の買い物をしていて時間がかかり、隣の列の方がどんどん進んだら、どんな気分だろう。そのときの嫌な気分はどうすれば解消できるかな?
 行列ができるところは、それだけ支持を集めているという、わかりやすい目印になるね。行列が行列を呼ぶ、ということもありそうだ。書いてくれたとおり、同じような店でも、客が全然いないようでは、入ってみようという気も起きない。これを逆手にとった宣伝方法が「サクラ」と言われているものだね。「並んだだけの価値」というものは、もしかしたら、並ぶ側の判断力も試されているかもね。「行列のできる店だからいい」というだけでなく、実際に自分の力(目だったり舌だったり)で判断できないと、場合によっては「宣伝のサクラ」に騙されてしまうこともありそうだよ。
 魯迅の言葉をアレンジして、「行列という人工のもの」だからこそのルールがあると指摘したのは鋭いね。ここは説得力のある意見。行列が近代的なものであると考えることとつながりがあるね。デメリットとメリットをはかりにかけた上で、メリットをとったわけだから、ルールを守ることで、そのメリットを守るということでもあるのだな。今回も力作が仕上がった。

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