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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   言葉を進化させるか、言葉に愛着を持たせるか   うさぴょん

 方言で「つるべ」のことをツブレ、「ちゃがま」のことをチャマガ、「つごもり」をツモゴリと言う所がある。このような現象は幼児の言語に見られるもので、恐らく起こりは幼児時代の言語に始まったものであろうが、ある地方でこのような誤りが定着したのも、本来「釣る瓶」「茶釜」「月隠」であるという言語意識が薄れてしまったからであろう。語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化を来すことがある。漢語の場合には、それに使われた漢字が忘れられると、意味用法の転ずることが少なくない。ことに話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしないから、意味を支持するものがないためにとかく変化しがちである。どのように変化すると言えば、結局、言葉は各人の現言語意識によって動いて行くようである。そして、その言語意識を作り上げるのは、主としてその人の経験、教養、学校で受けた教育である。言葉の正しさの規範意識もそこから生まれ出るようだ。
 最近の社会で、元々の用法と大きく異なる使い方をする言葉は珍しくない。例としてあげられているものに「枕木」というのがある。そもそも「枕木」とは、鉄道のレールの下に敷きレールの等間隔固定と車両にかかる荷重の分散の働きをするものである。しかし、現在使用されている材料が「木」から「コンクリート」に変わってきていることで、名前も「枕木」から「枕コンクリート」にするべきではないかという考えがでてきているようだ。このように、材料や形態が変わることで名前も変わるべきではないかという意見が少なからず増えてきている。物の日進月歩とともに名前も変更するべきなのだろうか? 私は変えるべきではないと思う。<是非の主題> <長文実例>
 第一に名前を変えると混乱するからである。技術が進歩して原材料が変わった物はたくさんある。気が付いたごとに名前を変えて・・・なんて公式的にやっていたらとてもじゃないが覚えきれない。その上、さらに変わったりしたらもう手の施しようがなくなるだろう。<第一の理由>
 第二に言葉には愛着があるからである。みなさんにとても馴染み深い言葉の中に「黒板」という言葉が入っているであろう。今、「黒板」でなく「ホワイトボード」を使うところもでてきている。けれども、そのような環境でついつい
「黒板を見て。」
とか
「黒板の通りにやってみて。」
と言ってしまうのは愛着があるからだと、現役の塾講師の方はおっしゃっている。愛着や親しみも十分な理由に値するが、この名称と付き合ってきた時間の長さも該当するのであろう。さらに言えば、時代を感じさせる言葉や古典的な方法は案外廃れていないものなのだ。「電子メール、携帯メールの方が気もちを伝えやすいか」という読売新聞の調査があるが、ここでは64%の人が「いいえ」と答えている。必ずしも便利でお手軽なメールの方が気持ちを伝えやすい方法ではない、すなわち手紙の方が有効であると考えているわけだ。ということは、まだまだ古いものも使えるというわけだ。<第二の理由> <データ実例>
 しかし、「誤解されにくい」・「分かりやすい」のだから合理的だと考える人もいるだろう。極端に言えば、現代っ子には「枕木」と教えるより「枕コンクリート」と言った方が分かりやすいのかもしれない。それなら確かにすぐ分かるし、覚えやすい。けれども、「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という名言が示しているように、自分で愛着を持ったり納得したりした言葉でないと、うまく使いこなすことが出来ず振り出しに戻ってしまうのではないだろうか。<反対意見への理解>
 死語ではないかという噂が流れても、馴染みの言葉は無くしたくないものであり、いつの時代も使ってほしいと思う。

   講評   nara

 長文にもさらりとふれてあったけれど、言葉の変化の多くは話し言葉から始まるね。漢字からの意味伝達という視覚的な要素がないことに加え、人の舌はどうやらナマケモノで楽をしたがる。音を縮めたり変えたりすることも舌の動きに起因することが多い。(音便は学習したかな?)書き言葉は、話し言葉に引きずられるということね。このあたりに、今後どうすべきかということのヒントがありそうだな。
 第1理由:今の世の中は、技術革新が進んで新しい素材もどんどん開発される。そのたびごとに言葉と実体をあわせていくと、一体何がなにやらわからなくなるということがありそうだね。変化のスピードが速すぎることが、言葉の変化のスピードを制御するという逆転現象も起こりうるかな。
 第2理由:愛着ということを言い換えれば、それを好んで・主に使う人がいるということね。言葉が意思伝達の道具だとすれば、使うもの同士が理解し合えなければ、道具としては成立しない。言葉が変化するものだという前提があったとしても、変化したものが受け容れられなければ、意思伝達の道具にはならないものね。
 どの言葉を残すのか・どの言葉が消えていくのかは、個人の力ではどうしようもない。だけれども、ただ単に流れるままでいいのかというのが、筆者の問題提起だね。うさぴょんさんがまとめに書いた「……使ってほしいと思う」ということを実現するために、何をすればいいか具体案を考えてごらん。

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