創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人は二足歩行で(感)   ポッター

動物の場合、我々とは死の概念自体がずいぶん違うのではないかと思うのだ。彼らにとって死とは、衰弱した精神が描く単純で強烈な恐怖の源ではない。我々の精神は死という言葉を聞いただけで毛を逆立てる。想像力は自分たちのみじめな姿を求めて暴走をはじめる。だが死とは、本来、一つの成就、一つの完成、一つの回避である。自然から遠く離れてこの概念を立てすぎたために、個体の意識を離れてすべてが無であるという考えがすべてを圧倒し、ひたすら個体にしがみつくことが至上命令となった。死はエゴの駆動装置になりさがってしまった。果たして、生きることではなくただ死なないことに、それほどの意義があるのだろうか。
 わたしは、まず、「死」ということを考えるのではなく、その「死」までの間、一日一日を大切に過ごすことが重要であると思う。
 理由の一つは、そうして「今」を大切に過ごすことで、将来の計画が立てられる、また、計画性が身に付くからである。
 私はまだ中学生で、一生の半分も生きていないだろう。とは言え、自分の人生、人の人生がどれくらいかなんてわかるわけがないから保証はできないが、きっとそうだと思う。だから、もちろん「高校や大学はここに行きたい」とか、「将来はこういう仕事に就きたい」という進路や就職のことなどを考える。もっと深く考えると、「○歳で結婚したい」とか、「○人くらい子供を産みたい」などという、家庭的なものにも達する。
 しかし、実際大人になってみるとどうだろう。私の両親に聞いてみると、四十代、五十代を過ぎると思うことは、「『残された人生』をどう生きるか」とか、「老後をどうするか」などという、「死」への階段について考えはじめるらしい。データによると、日本は平均寿命が一番長い国で、男性は‘七七、〇一歳’、女性は‘八三、五九歳’という、他の国に比べてわりと余裕のある(?)人生である。このようなデータを見ると、「では、それまでどうしよう」ということになる。一生が八十年だとして考えると、それまで何を「するのか」「しないのか」は、人によって違うだろう。また、「八十年しかない」という考え方と、「八十年もある」という考え方がある。私は、八十年「しかない」ということを考えた方がよいと思うのだ。
 その「短い」と考える一生の間に何をするのか、また、何をしなくてはならないのかを、しっかりと考え、その為に、今何をしなければならないのかということを、考えることが大切だと思う。
 理由の二つ目は、現在の日本には、何のために生きているのかわからないという人々が多いからだ。
 今、社会にはフリーターやニート、更には路道生活者(ホームレス)などの、仕事に就かず、ただ怠けて暮らすだけの日々を送っている人達が沢山いる。この状況は日本だけに限らず、アメリカやヨーロッパなどの外国にも発生している。職に就けない、あるいは就きたくない、面倒くさい、精神的に…など、様々な理由でこのような無職の人々が増えてきているのだ。そして何もすることがないから、日々をだらしなく、ぐぅたらして過ごす。私は、これは大変勿体ないことだと思う。
 人間の寿命は動物の寿命よりも長い。私たちが普段生活の癒しとして接したりしている 犬や猫のペットなども、私たちより早く死んでしまう。もちろん、アフリカにあるサバンナのような草原に住んでいる動物、ライオンやハイエナ、シマウマやトムソンガゼルなどの動物も同じである。しかし、その動物は生涯がそう長くないにも拘わらず、私たちよりも遙かに少ない日々を大切に生きている。
 草原に住む野生動物のルールは『弱肉強食』。強いモノは生き延び、弱いモノは死ぬ、そういうルールである。肉食獣は弱い動物や草食動物を喰って生き延び、また、草食動物は肉食獣から逃れるため、必死で逃げ回る。「自然界に自然死という言葉はない」というが、まさにその通りである。だから、動物はいつ死ぬかわからない世界の中で、一日を生き延びることを誇りに思うのだと感じる。
 このことを考えると、私たちは大変勿体ない毎日を過ごしているのだとわかる。職に就いていない人々だけではなく、私たちも無駄に過ごしている。一日生きられたことに毎回感謝しろというわけではないが、もっと日々を大切に過ごすべきだと思う。
 確かに、人は自分たちの持っている技術を使って、時間短縮のために機械を作ったり、便利な道具を作ったりしてきた。しかし、その為にやることがなくなってしまうという現象にも陥ってしまった。「私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある」というように、一日をどれだけ大切に、また、どれだけ充実な内容で過ごせたのかということが、未来に繋がるのだ。限られた時間、限られた人生の中で、その人生をどれだけ大切にして生きていけるか。それが、重要なことだと思う。

   講評   inoko


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