創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   現代人の教育課題   うさぴょん

 本質的な問題に、どんな点から気づくのか、そういうものが、どんな状況から出てくるかというと、それも、その人の素質によるものだと思います。これはいろいろな要因が考えられます、小さいときからの物の考え方、家庭内での躾、いろんな要素が複雑に入り組んでいるわけです。ですから、たとえ小さなことでも、自分がどういう立場にいるかということを、早くから家庭の躾や、親の愛情で、それを感じさせるということも可能だと思います。
 親、子供、家庭、学校、教育問題——これらは「躾」とか「愛情」などというキーワードを持つ。では「躾」「愛情」それぞれの意味とはなんなのだろうか。どういう「躾」を行い、どのような「愛情」を注げばいいのだろうか。
 現代を生きる年配の人から考えてみると躾とは、分別をもって善悪や礼儀を教えることであり、それは愛情をもってしてできると。その愛情は一生懸命朝ご飯を作ったり、手作りの洋服を着せたりという行動から示される。<長文実例>けれども、私はそれだけが「躾」や「愛情」ではないと思う。その根本となる土台が「時代が変わった」ということである。では具体的に説明してみよう。
 第一に「作る」ということであるが、確かにホームメイドの服はとてもいいことだ。リクエスト通りにつくってあげることも出来るだろうし、何より愛着がわく。しかし、今や服は「作るもの」ではなくショッピングセンターなどで「買うもの」になってきている。買い物に行ってお金を払えばすぐに手にはいるのにわざわざ作るのが面倒、そういう価値観になった。あるいは服は「作るもの」であるという根本的なことを忘れているかもしれない。だが、私はそれはそれでいいと思うのだ。では服なんてどうでもいいのかといわれればそうではない。服を作らなくても、一緒に選んであげればいいのだ。
「○○はどんな色が好き?」
とか
「こんなのはどう?」
と子供に問いかけながらまわって見て歩けばいい。もちろん服だけでなく、帽子だとか靴だとか、探せば探すだけ会話もはずむことだろう。そのうちに幼稚園や保育園の友達のことになったり、今朝あった他愛ないできごとなどを話してくれるのではないだろうか。<複数の理由一>
 第二に、新しい親子関係の設計にあると思う。今までは子供は親の言うことに従う、というのが大体であった。だが、今は一方的に親が叱ったり将来の道を制限したりするのではなく、共に考えていくことが必要だと思う。「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている」という名言<名言の引用>があるように、大人の価値観や知識をそっくりそのまま子供に受け継がせるのではなくて、自分自身の実体験をまぜて自分なりの意見を持っていくことが重要だ。<複数の理由二>そうすれば社会にでても己の頭で考えることができるのだから。
 けれども、「子供は大人の言うことを聞くべきで、大人はその手本となる行き方をしなければならない」など色々な意見もあるだろう。もちろんその理想像も大切だが、「できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真に規則を生かす道である」という過去の人の有名な言葉もあるため、理想像も時にあわせて考えた方がいいのではないだろうか。ただし子供も「躾」や「愛情」を一身に受けるだけでなく、そこから何を掴み取っていくか、いかに思考を働かせるかということを意識すべきだろう。<反対意見への理解>
 「愛情」と「躾」という飴と鞭をうまく使って、立派な家庭環境や学校環境を築いていくことが現代人の教育課題だ。<是非の主題>

   講評   nara

 この作文を読んでいて、親子関係を初めとした人間関係のほとんどが、この50年ほどの間に大きく変わったのだろうなぁ、と思ったよ。例えば、仕事の場での人間関係・部活動などでの関係などね。以前の価値観で言えば、「上下関係をハッキリさせる・下の者は上に従い、上の者は下を導く」ということが明らかだった。それが崩れている大きな原因は、社会変化のスピードが想像を越えるものになったから、だろうね。
 第1理由で述べられているような、流通の仕組みの変化も大きいね。以前は、そもそも「選ぶ」ということが恒常的には行われていなかったかも。ものが豊富に並べられ、それを「貨幣」と交換するという社会が進んだ中で一様にその社会を拒否するというのは、個人の決意だけではできないことだし、仮に親が子にそれを押し付け望んだとしたら、それこそ、本長文のテーマに反することになりそうだね。
 第2理由:昔は、親や先輩、師匠は、その存在が手本になりえたし、その位置にいることは、そのまま尊敬の対象となった。それは、ある分野に限らず、極端な言い方をすれば「親だからすごい・自分よりも何でも優れている」ということだったのだろうな。今はどうだろう。社会の変化や商品開発の速さなど、上の立場にいる人が自信を持てなくなりつつも、上の意識は捨てられない。意外にも、新しい世代の方が、できること・できないこと、教えてあげられるもの・教えてもらうものに対して、柔軟な捉え方をしているのかもしれないな。
 まとめにあるように、愛情や躾は一方通行のものではなく、受け手がそれをどう血肉にするかというところまでが問題だ。そして、そこにいたるまでには、時間がかかることが多い。だから、拙速な判断や結果の要求をしてはならないのだね。最近はみんな「こらえ性」に欠けるのかも!? 変化の大きい時代だからこそ、こらえ性が必要だね。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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