国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   面白いもの発見!   うさぴょん

 新聞というものをまるで読まないと言い切っている人がいる。そうかと思うと、朝手洗いで新刊書の広告を読むのが最大の楽しみだという人もいる。私はどちらの方に近いのだろうかと考えてみた。どちらかといえば、私は、行間と余白の読み手であるのかも知れない。そういう意味で私は、新聞を、月一度とか二度でなく毎日立つ縁日のようなものであると見ているふしがある。論説記事は神社の神主さんの祝詞のようなものであり、謹聴しなければならないときは黙っておとなしく聴くが、終わったらホッとする類ものであり小屋掛け芝居のようなもので、読み手たる私はぶらぶら散歩して夜店をひやかす客のような存在である。ということになると一番楽しく、ぴったりしているのはやはり広告欄という名の夜店通りかも知れない。
 日常に欠かせないものといったら新聞、と言う人は結構多いのではないだろうか。ふと部屋を見渡して何かが足りない、あれいつも机にあるんだけどなァ、はて何がないのだか。新聞だ、まだとってきていなかった、なんてことがたまにあるかもしれない。もっとも今は、インターネットで新聞も見てしまうという家庭も少なくはないのかもしれないが。ともかくも新聞は読むためにはもっちろん、ふいたりぬぐったりするためにもとないと不便なものに分類されるのだ。その新聞、読んでみるとなかなか面白い・・・だろうか。私は全然新聞を読まない。父親に「新聞をとって!」と言ったらご丁寧に(笑)テレビ欄の面だった。これはまだ年が若いからということも一因だが、それだけでなく興味をひくような話題がなさそう、ということも理由の一つにあげられるのではないか。だからこそ、筆者の楽しみが広告欄を見ること<長文実例>なのではないのだろうか。広告欄でなく、お詫びのスペースだとかいろいろあるが、きっと密やかな楽しみはマイナーなすみっこに多いのだと思う。新聞を例にあげて説明したが、要するに面白いものは意外と見えないところにある、それが大切だと言いたいのだ。<是非の主題>
 そう主張する理由をいくつかあげてみよう。まず一つ目。またもや新聞を例に出すのだが、新聞のお詫び欄に注目してみる。お詫びをするスペースでは、この人名の表記が間違っていたなどというミスを謝罪する。それがいつもは威張っている人たちがヘコヘコ平謝りをしているようでクスッと笑える、そんなシリアスな楽しみもあるそうだ。また雑誌などでは、メインとして表紙にのっているコラムよりも、無名アーティストなどのレポートなどがウケたりすることもあるだろう。こんな風に思いもよらないところに楽しさがあるものなのだ。<複数の理由一>
 二つ目にあげられるのは何気ない言葉である。誰かの意見を読んでるいると、さりげなく入れてある言葉にその人の強い意志を感じることがある。
「あ、この人実は●●党を応援しているのかな」
という驚きだとか、「いい感情を持っていないな」というマイナスの感情の発見などだ。<複数の理由二>
 もちろんどんな文章、新聞、雑誌だってメインがあるのだから、端ばかり読んでいくのはあまりよくないかもしれない。けれどもたまにはじっくりと観察してみたり、通販や新刊本の広告などいつもは目を通さないところに視線をなげかけるのもいいと思うのだ。<反対意見への理解>
 このようにちょっとした楽しみに気づくことで、日常が非日常に変わる。というのも大げさな話だが、いつもの生活に飽きてきたら自分で動くといいだろう。「飽きるということも、一つの能力のあらわれである。」という名言があるが<名言の引用>、その能力と反対に位置する能力も身につけた方がいいと私は思うのだ。そして、その「ちょっとした楽しみ」というのは「見えないところにある」、隠れているのである。

   講評   nara

 「密やかな楽しみはすみっこにある。」これは、自作名言になりそうだよ。すみっこもいろいろあって、どのすみをチェックするのかは、それはそれで人によるのだろうなぁ。すみっこだけれど、確かにある、そんなものかもしれないね。2段落目「日常生活に……」の部分は、ひねりの入った書き方だなぁ。私は、新聞休刊日などがっくりしてしまうタイプだけれど、うさぴょんさんは違うのか。まだ、新聞の縁日的なおもしろさには出会えていない、ということかもね。
 第1理由:おわび記事はできれば余り目につかないようにしたい。隠したいと思うけれど、なぜか目についてしまうものだ。隠したいと思うと余計に不自然さが伴うのかもね。淡々と書かれていても小さなスペースでも、そこに目がいくというのは、独特な力があるからかもしれないよ。
 第2理由:発見・読み取るおもしろさだね。人の思いや方向性は、意外なところに見え隠れしているわけだ。お、ここでも「隠れている」というポイントが出てきた。正面切って「こうでござる!」と主張しているものから「こう」を読み取るのは、難しくもなく面白みも少ない。そうでないからこそ、すみっこ読みは楽しいのだね。
 新聞を一人の人間として考えてみてもおもしろそう。顔の造りや体形だけでなく、どんな服を着ているか、どんな話し方をするかなどから、その人のことが見えてくる。ちょっとした持ち物やしぐさで「ああ、そういう人か。」と思うこともあるものね。しかし、全体を見なくてもいいというわけではない。新聞だけでなく、いろいろな題材に当てはめても論を展開できそうだよ。

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