国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日3330 今日117 合計6013
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   自然が1番!   すずらん

町中の雑草に対する人間の態度は時と場所によってさまざまである。ハイキングに行けば「緑がいっぱいで気持ちがいいわねぇ」と喜ぶ人も、自分の庭にでてきた雑草は血眼で引き抜いてしまう。
私は、小学校の頃、理科の授業で学校の花壇にチューリップの球根を植えた。もちろん花壇に生えていた雑草はクラスで力をあわせてビニール袋いっぱいになるまで抜き取ってしまった。おかげでチューリップは綺麗に花を咲かせたけど、チューリップという自然を咲かせるために雑草という自然をなくしてしまった。
だから、どんなにチューリップの花がすきでも自然を大切にしているとは言い切れないなぁと思う。「花が好き」、「花が大切」というのと「自然が好き」、「自然が大切」というのは似ている。しかし、花というのは人々が好むような綺麗で、香りがいい自然だけに限る。自然は雑草も含めて、汚くても邪魔でも生きているもの、もちろん花のような綺麗で、香りのいいものもふくめる。
本当の自然好きな人は雑草も大切にする人だと思う。綺麗で人に都合の良いものだけを大切にするのは本当に自然が好きだとはいえないと思う。
また、最近自然の土でできた道路をみることができなくなった。何もかも人間の便利さを追求したためだと思う。歩かないでも目的地に行くために自動車をつくった。そしてそれがよりよく走りやすくするために自然がありふれていて、季節感のあった土の道路をどんどんコンクリートで固めていった。
昔は、道路にタンポポが咲いている事で春を感じたのだろう。今では道路のわきのコンクリートの隙間に小さなタンポポが狭苦しく咲いているのをみて、春を感じる。
私はコンクリートの道路は表情がなく余り好きではない。土なら、雨が降れば地面がぬかるんで流れる水も土でにごっている。でもそれが乾けばあっという間に、小さな花を咲かせ、雑草をどんどん生やす。コンクリートはいつでも同じだ。雨の日も、ただ水がわきにある下水につながる穴に流れ落ちるだけで、晴れの日もただ同じ色をした地面が広がっているだけだ。
私は、自動車ができて便利だけれど、季節を道路で感じられなくなったり、道路に表情がなくなってしまったのは残念だ。こんな私はすごく矛盾している。
人間にとって自然はなくてはならないものだと思う。「やはり野に置け蓮華草」と言われるように、自然はそれぞれあるべきところになくてはならないと思う。道路にはコンクリートではなく、土がなくてはいけない。そして、雑草も他の花と比べられることなく、いろんなところにはえてなくてはいけない。私は、自然がある生活が人間に望ましいのだと思う。
先生へ
要約が難しくてできませんでした。

   講評   ita

こんにちは、 すずらんちゃん。 立春も過ぎちょっと暖かくなってきましたね。ついこの間入学したばかりのような気がするのにもうすぐ一年が過ぎようとしています。早いですね。
【第一段落】
要約は難しかったかな? 具体例の部分を少しかいつまんで入れるといいかもしれないね。
【第二段落】
 体験実例を交えながらすずらんちゃんの考えを丁寧に表現しましたね。「花が好き」ということと「自然が好き」ということの違いをうまく説明できていると思います。
【第三段落】
 道路わきにいきるたんぽぽに視点を当てて話をうまく広げていったね。雨が降ったあとのくだりはすずらんちゃんの優しさが表されていていいね。たしかに道路に降る雨は表情がないものです。ここはそれだけで終わらずすずらんちゃんの矛盾をしっかり指摘しているのがいいよ。
【第四段落】
 ことわざを使いながらうまくまとめることができました。
              

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)