低学年から学力の基礎を作る
幼長、小1、小2、小3の基礎学力をひとつの講座で学ぶ。
読書の習慣、国語算数の勉強、暗唱の学習、創造発表の練習をオンラインで。


昨日2426 今日261 合計52597
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   科学は記述から始まる(感)   ポッター

 世界は連続的に変化する。我々はそれを適当に切り取って、コトバで言い当てようとする。コトバによる世界の切り取り方には根拠がない。これがソシュールの主張である。コトバが同じなのでコミュニケーションができるのではなく、コミュニケーションができるので、コトバがあるかのように錯覚されるに違いない。
 しかし、科学は記述なしには成立しない。だから科学はパターンが人によって異なるのはあまりありがたくない。そこでパターンを固定しようと努力することになる。我々の日常の世界では、コミュニケーションが成立すれば、イヌとは何か、ということが定義できなくとも、別に問題はない。しかし科学は、できることならコトバを厳密に定義できるようにしたいのだ。
 私は、コトバを自由に使うか固定して使うかではなく、時と場合によって、使い方を分けた方が良いと思う。
 理由の一つ目は、自由に使う場合、その人の人間味、いわゆる人間らしさが出てくるからだ。
 人間には、一人一人の“個性”というものがある。性格や趣味によって異なるが、言葉も、その個性を表す一つであると思う。
 機械や辞書のように、定義語ばかりを使っている人は、逆に人間味がなくなり、「つまらない」と思われてしまうかもしれない。
 例えば私だと、友達と話しているときなんかは、自分のことを「俺」とか「僕」とか言ってしまったりする。これは、私が男っぽい性格だからだ。また、語尾に「だろ」とか「だぜ」なんていうものを付けてしまったりもするが、これはさすがに範囲をこえてしまっているので、最近は使わないように気をつけている。ただ、私に限らず、大抵の人は自分の好きなように言葉を使っているだろう。渋谷や池袋、原宿などの町中でよく見かける若者が、それを取り上げるための“実験台”に相応しい。
 この人達は、今までの常識を変え始めているような気がする。言い換えると、「オキテ破り」という言葉が合っているだろう。私たちの理解できないような言葉を頻繁に使い、敬語、尊敬語、謙譲語という基本的な言葉の種類を全く知らない。また、知っていても使わないなど、本当に、好きなように使っているのである。決して真似するための手本とは言い難いが、それが彼女達、あるいは彼ら達の個性なのだ。その人達は、その“言葉”を使うことで、自分たちの存在を示そうとしている。個性や特徴を自分たち以外の相手に伝えようとしているのだ。だから、私たちが聞いて「おかしい」と思うことでも、「絶対に使うな」とは言い切れないのである。
 このように、自分をアピールしたり、個性を引き出したりするためには、自由なコトバが必要であると考えられるのだ。
 理由の二つ目は、厳密な言葉を使う場合、その意味が明確であり、曖昧さがなく、誰でも理解できるからである。
 例えば、公共の場や人前などで、厳密な言葉を使えば、「この人は立派な人だ」と認められる。これが、正しい言葉遣いをしないとどうなるのか。自分をアピールするどころか、逆に悪印象を与えてしまうだろう。話を聞く人の考えによっても、受け取り方はそれぞれ異なるが、大半の人は「おかしい」と感じるに違いない。それどころか、「もう聞きたくない」と思ってしまうかもしれない。どちらにしろ、そのような公の場で、自由な言葉を使うのはあまり相応しくない、ということだ。
 また、現在の日本語は昔の言葉と比較してみると、徐々に汚くなっているような気がする。最近、テレビのバラエティ番組などでも、日本語やコトバについてのクイズを出す番組が多くなってきた。それはきっと、綺麗な言葉が汚染されてしまっているからであろう。
 前の文章で、「自由な言葉はその人の個性を引き出す」という風に述べたが、それは少数の人がいる場でのことであり、大多数の人がいるような場では、喉の奥に封印しておくべきだ。また、若者が使っているような略語などの言葉は私たちには理解し難く、社会での問題にもなってきている。特に、目上の人には正しい言葉を使わなければいけない。これは、基本中の基本であり、最低限守らなければいけないルール、規則だと思う。
 更に、テレビ番組だけでなく、本も出ていて、有名なのは「問題な日本語」という本だ。今、町中でよく聞こえる言葉を載せている。その中には、「これは正しい」と思っていたものもあり、区別が付きにくいものが多い。また、この本の題名もおかしな言葉で、問題と日本語の間に入る、「な」という字は、本来ならば別の言葉に置き換えられるのではないだろうか。
 厳密な言葉や正しい言葉は、社会の中でも通用するようにできている。だから、今からでも、一つ一つ覚えて、将来のために準備をすることが大切だ。
 言葉には、良い点もあれば悪い点もある。もちろん、今例に上げた自由な言葉も厳密な言葉も、それぞれに良い悪いがある。それをふまえたうえで、時と場合によって、自由な言葉と厳密な言葉を使い分けることが、重要なことだと思う。

   講評   inoko

 ポッターさん、こんにちは。今回は言葉がテーマです。言葉に関する長文が多いので、その度に、自分が使っている言葉について深く考えてしまいます。自分はどのようにして日本語を覚えてきたのか、正しい日本語を扱っているのか…。考え出したらキリがありません。乱れた日本語ばかりを耳にするというのに、8割弱の人が言葉の使い方に関心を持っているというのはおかしな話ですね。敬語というものがきちんとあり、場所によって使い分けのできる豊かな日本語ですから、やはり使いこなせるようでありたい。本当は、誰もがそう思っていると言うことなのでしょうか。
☆ 若者の言葉は、アピールや個性を引き出すためという意見は、なかなか。個性的なファッションや携帯の顔文字も同じようなことなのでしょうね。(でも、ポッターさんも若者ですね。)
テレビや本の例をあげているところで、文化庁のデータ実例を入れられそうですよ。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)