創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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制御 ルフィ
自然に対する人間の働きかけには、量についてのものと、制御、管理についてのものと二つある。そして、近年までは量についての働きかけが、盛んに行われてきた。しかし、地球が有限であるが故、次第にそれは行き詰まっていき、今日に至っている。私は、現代社会では、制御を中心に据えなければならないのに、未だに量を追いかけているのは問題だと思う。
そして、その原因の一つとして、戦後の発展の仕方が挙げられる。敗戦によって、何もなくなった日本は、逆に戦争によって利益を得ていた欧米諸国、特にアメリカのその豊かな物質量にあこがれた。そして、諸外国の保持するその圧倒的な「量」を目標に、一生懸命働いていったのである。同じようなことを、私もよく体験している。特に模試があったときなどは、できている人の学力を非常に羨ましく思い、試験後に勉強をしだす。(笑)続かないことが多いが。(笑)しかし、彼らはやり続けたのだ。追いつけ追い越せの精神が、それを語っている。そして、その結果が、現代の日本であり、大量消費社会であり、環境問題なのである。
また、未だに世間には、量を基準とする考えが残っているからとも考えられる。ファストフード店でアルバイトを勤める人の話を聞くと、とにかくこれでもか!というくらい作り、余ったのは全て捨てるらしい。そして、誰もがそれを当たり前のことだと思っている。ところで、自然界でもし大量消費、生産が起こったらどうなるのだろうか。例えば、何らかの原因によって、魚が激減したとする。すると、その魚を捕食していた鯨など巨大魚(鯨は哺乳類だが)などの数も減少していく。逆に、今まで食べられていた海中のプランクトンなどは、生き残れるチャンスが増えているので増加していく。すると、捕食者が減り、餌が増えた結果、再び魚の量は増えていく、というのである。大切なのは、ここでは制御の力が働いている、ということだ。つまり、一方が増加し、もう一方が減少すると、それらはごく自然にバランスをとろうとする。人間の場合はどうか。ハンバーガーを大量生産し、その原材料が減っているにもかかわらず、それらの生産をやめない。目先の利益、お金という量だけに囚われて、理性が作動しない。餌がなくなった魚はどうなるのだろうか。どんなに多くの固体を有しているとしても、行き着く先は・・・。
だが、確かに、物資の量が足りず、それらを必要としている人がいるのも事実である。世界では、日々何万もの人々が飢餓によって死んでいる地域もあるのだから。しかし、「量とは、独占する物ではなく、共有する物である。」のだ。制御とは、なるほど、難しい物ではある。突発的な衝動、甘い誘惑などの前においては、ほぼ無力に等しいのかもしれない。でも、もし私たちに人間としての尊厳があるのならば、同時にこの世界をここまで汚した卑しき存在という自覚があるのならば・・・。そこには責任と、理性による制御が生まれるに違いない。
講評 kira
ルフィくん、こんにちは。テスト期間中ですよね。忙中閑ありの精神ですね。まさに「制御」できている。理性のなせる業ですね。
電話でもお話しましたが、世界の人口はまさに爆発状態です。人口爆発と習った記憶があります。増え続けているのは、とくに経済成長も著しい中国などの国々でしょうか。人もふえますが、環境を破壊する廃棄物の数値も、危機的な量です。日本がかつて経済成長の代償として公害に苦しんだような状況が、それをはるかに超える規模で起こっている。
日本はアメリカの模倣をして退廃した(?)部分を明らかにして、伝えていく義務がありそうです。量を追い、合理的な思考だけで判断していくと、人間らしさを失います。
ファーストフード店の発想と、自然界の捕食関係の指摘はおもしろいね。人間は、えさの食べすぎで自滅する金魚みたいなものかもしれないね。
身の程を知るという言葉がありますが、現代社会では死語でしょうか。心がけの部分ではやくも制御がかかっていた時代には、もったいないようなまねは決してしなかった。人類の幸福のために経済成長し、太りきった肥満社会は、やはりダイエットしなければならないんですね。
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