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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   法律と人間と   うくほ

 今日では、道徳的共同体をつぶしてきた法的社会がふつうの社会となり、国家となっている。しかし、今日、共同体が完全につぶされたわけではない。豪族など大きな共同体はすでにつぶされてしまっているが、依然として最小単位共同体の家族は残っている。そして一方、共同体意識の方は、今も人々の間にしぶとく生き続けてきている。 共同体の本質は感覚であるから、理屈、理論すなわち知よりも情が尊ばれる。漱石の言う「智に働けば角が立つ」わけである。しかし、法が現代の社会を動かすものとなっていることを認めざるをえないから、「情に流されまい」とする努力が必要となる。この両者の間をゆれているのが、現代の人間である。しかし、孔子はそうではなかった。彼が生きていた時代は、法が登場しはじめたころであり、当時、法優先は異端の思想であった。それは、共同体という体制の根幹をゆるがす「悪の思想」とみなされていたのである。孔子はその「悪」の摘発者であった。こういう話がある。 晩年、おそらく六十代も半ばを越えたころ、孔子は為政者としての地位を求めて、諸国を流浪していた。あるとき、葉という小さな街に立ち寄ったらしい。この街は、南方の強国であった楚国の一行政地区である。その街の長官の葉公が、孔子にこう言った。自分の街に「直躬」(正直者の躬)という仇名の者がいる。その父親が羊を盗んだとき、その子は父の犯罪を隠さないのみならず、盗んだことの証言をした、と。(要約)私は、共同体的な生き方をしたい。
 その方法として第一に、法律よりも、人間のほうを大切にすることだ。例えば、私の通っている学校の女子のほとんどが、スカートを上げている。元々の制服のスカートの丈が長く、皆長いのが嫌だというのが理由だ。しかし、私はスカートをあげていない。理由は、自分でスカートをはくとしたら、長いのが好き、というより、むしろ短いほうが嫌いなのだ。別に他の人がはいている分にはかまわないのだが、どうも自分でははきたくない。それで、ほとんど毎日色んな人が先生に注意をされている。だから、大体の人は注意されないように、先生が来たときのみばれないようにしている。ここで、前から思っていたのが、誰も先生に言う人は居ないということだ。要するに、たとえ誰かがスカートをあげていたりしても、誰も先生には言ったりしていない。これは、ほとんどの人がスカートをあげているというのもあるが、やはり校則よりも、それぞれの人のほうを大事にしているということだろう。だから私は、法律よりも、人間の方を大切にしていきたい。
 そして第二に、法律を執行する場合も、人間性を持つことが大事だ。例えば、大岡越前という昔の人は、子供を争う二人の母親に、「子供を引っ張って自分の元に引き寄せた方が本当の母である」と言い、痛がる子供の声に思わず手を放した母を本当の母と認定したという話がある。だから私は、法律を執行する場合も、人間性を大切にしたい。
 確かに、法律など、論理的に決められたものの方が簡単だ。でも、「家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人である」という名言もあるように、真心に対してどうなのかを考えるべきだと思う。

   講評   kira

 詩織ちゃん、こんにちは。夜遅くまで、頑張ったね。っていうか、早起きしたのかな? 締め切りに向かって執筆するのは、売れっ子作家の気分だよね。(のん気な冗談、ごめんなさい。)
 さて、作品は目標字数を大きく超える力作となりました。生き方の主題の全項目をクリアして、見事に合格です。
 法治国家である日本で、最近、犯罪が止まりません。その傾向は、少年に広がり、公務員といった公人に広がり、近隣関係、家族関係のトラブルに広がっています。じつに憂慮すべき事態で、その対策が議論されているのです。ある人は教育の荒廃といい、ある人は親の意識が低いと言い、共同体の力が機能しなくなったからだとも言います。
 今こそ、孔子が言った「直き心」を取り戻す時ですね。ベストセラーになった「国家の品格」の作者も同じようなことを述べています。
 がちがちに縛っている校則も、取り締まりにのみ躍起になると、隠れることを覚えてしまうんだね。友達同士、誰かが密告するのではないかと疑うのは、いちばん悲しい事ですね。
 江戸時代の大岡越前の裁きは、今でもテレビドラマで人気です。胸のすくような人情のある裁きが魅力です。江戸の民衆から慕われる存在になったのは、心をみる裁きだったからでしょう。(こんなことは、カリスマ的名人でないとなかなかできないね。)
 現代では、司法が生活と乖離したといって「裁判員制度」が始まると言います。そこで直き心が出せるものでしょうか。もっと、身近な生活の一部から、真心で判断することを始めないといけないようです。
  

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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