国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   妖怪もったい   LOVE

 妖怪の中に「もののけ」という種類があって、これは「もの」につく。ものの気」と書いて、これは「もの」が漂わせているかに見える「気配」のことである。つまりこれは、「もの」についてそれが「もの」であることを、次第に歪曲もしくは変質させてゆくわけであり、 ここで言う「もったい」も、そうした「もののけ」の亜種にほかならない。そしてそれがつくと、我々はその「もの」を、むしょうに捨てたくなる。 それのついていないものを見ると、むしょうに拾いたくなる。つまり、「もったいない」のである。我々は、今「消費遺棄時代」というものを迎えつつあることを、よく知っている。つまり、その生活の主たる様態を、「拾う」ことから「捨てる」ことへ、大きく転換させつつあるのだ。現在、もったい専門の妖怪学者が問題としているのは、この点にほかならない。「狩猟採集時代」から「消費遺棄時代」に至る期間の、どこかの時点で文明が、もったいを人為的に操作しはじめたのだ。もちろん文明が、人々に「もの」を捨てさせなければならなくなった理由は、誰もが知っている。当たり前の文明ならここで消費に見合うべく生産力の方を抑えるであろう。ところが、我々の文明はそうしなかった。生産力を抑えるどころか、それをさらに向上させ、我々の消費の手に余る分を、そのまま捨てさせることにしたのである。もちろん専門家たちだって馬鹿ではないから、商店へ並べられた商品に「もったい」をつけるようなことはしない。かくて、流通経済は円滑に機能し、生活は潤い、我々は満足している。「もったい」である。妖怪もったいの養育と、専門家たちによるその見事な操作によって我々は「捨てるために手に入れる」という、生物学的には希有の性向を身につけ、「消費を上回る生産」という、あり得べからざる事態を楽々とこなしているのだ。

   講評   kanimo


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