創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   言葉を変えるか、使う人間を変えるか   うさぴょん

 今、日本語の誤用の話題が熱い。例えば、私の周りだとこんなことがあった。
 校外学習(修学旅行)で行くときのコース決めで、
「先生、喜多方コースに行けば喜多方ラーメンは食べれますか! 」
「食べれませんよ。」
「ええっ!? 食べられるっておっしゃっていたじゃないですか!」
「食べ、られ、ますよ。」
とどっと場が沸いた(笑)。また、今この文章を打っているときもすでに間違いの二カ所には堂々と「それは間違いです、至急訂正してください」とでも主張するかのように色つきの波線が視覚にうったえている。
 当然このような誤った使い方は直すべきだろう。「言語というものはその本質においてうんと保守的なもの。そこで、そう簡単には言語多数決の原理だの言語経済化の原理だのを受け入れられない。」と長文に書いてあるがこれらを簡単に言ってみると、「言語は保守的なものであるから、そう簡単に新たなことを受け入れることはできない」ということである。言葉には成り立ちがあって、ことわざや慣用句は当然のこと、「れる・られる」などの文法にもあるのかもしれない。「存在するものには、良いとか悪いとかを言う前に、すべてそれなりの理由がある」という名言のとおり昔の人が決めたのである、「れる」「られる」の使い方を。確かに成り立ちだとかそういう決まりだとかに目に見えるような客観的事実があるわけではない。けれどもやはり昔から見てみると、性格に使ってきた人の方が多い。というよりも、昔の人はその意味でしか解釈をしなかった。それに比べ今の意味で、用法で使っている人は少ない。だから、言葉を容易にかえてはならない。
だがしかし、そうはいっても大衆が利用しているため市民権を得ようとしている言葉もある。だから、このまま新たな使い方として使っていってもいいのではないだろうか。「ら」抜き言葉でもいいじゃないか、みんなが使っている意味でいいじゃないか。
「明日来れるー?」
「ちゃんと起きれるよ!」
などといった会話は日常茶飯事だ。これをいちいち直していたら話が白けてしまうこともあるし、気まずくなるのだからわざわざ注意しなくても良いだろう。さらに、「られる」で表現すれば敬語も楽で便利でいいのではないだろうか。なによりたくさんの人が使っているのだから、この需要にあわせて言葉の意味も変えていけばいい。
 では、用法を変えて後悔することになるのか、変えずに混乱が起きて後悔するのか。どちらにもならないようにするべきなのである。つまりは様々な意見があるにせよ、真に重要なことは「ら抜き」言葉が良いとか悪いとかではなく、よく考え論議を重ねることである。

   講評   nara


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