創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
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中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
経験 R
私たちは、世の中で生きていくために、あるいは社会に通用する人材になるために『知識』などを学びに日々学校に通う。でも、学校へ通ったからといってすべてを習得できるわけではない。『経験』というものも必要であるのだ。だから、学校で英語を習うが、留学制度をもたらしたり、社会科見学というものがある。
私はよく解けない問題などにぶち当たるとなぜ生きていく中でそんなに必要のないこんな問題をとかなければならないのか?と疑問に思ってしまうときがある。(たとえて言うなら私の場合数学の二次関数であったり…)実際もっと社会に必要なことはあるのだろうに、と変な考えまでもってしまうときがある。が、しかしこのような単元も全てひっくるめて学校で教わる物事は、紙に書いて証明するばかりでなく、その学んだことをその場に適応させてうまく証明させるのが将来的な目標なのかもしれない。大学受験に・・・という考えもあるが人生のなかで適応させる力・推理させる力をTPOを考えてあらわせられるようにするのが大きな成功なのかもしれない。
人は、学校で習ったことをいきなりいわれてもすぐいえないのがほとんどである。けれども、学校という場でしっかり学び社会のいつなんどきでもうまい適応性を出せることが最終的な勉強課程であろう。
講評 mako
私も学生だったころは「なんでこんなことを勉強しないといけないんだろう」と思いました。今でもどうして二次関数が必要なのかと聞かれたらうまく答えられません……。それなのに、おとなになればなるほどもっと学校でまじめに勉強しておけばよかったなあと反省することが多い。
学校で習うことは、むずかしいと思う高校の数学でさえ基本です。おとなになるとそういった基本の考えがいろいろなところで結びついてくる。机上の理論だった勉強が外に飛び出てくるのね。もちろん教科書どおりというわけではありませんが。そういう体験が少しでもあれば勉強するのも悪くないなと思える。
専門になればなるほど実は幅広い見識が問われてくる。数学博士を目指すのに、数学だけを勉強していてもだめだということは何となくわかるよね。勉強というのは「これだけ!」と効率よくやろうとすればするほど効率が悪くなるところがある。第一、おもしろくない。どういうわけか無駄と思えるような勉強ほどおもしろかったりするから困る。
わたしは大学で音楽学というのを専攻していました。もちろん音楽理論や演奏技術も大切でしたが、専門書を読むのに語学も必要でしたし、歴史や宗教とも深い関わりがありました。音楽治療という分野では、科学の知識も不可欠です。音楽だけがぽんと他の世界から独立して存在しているわけではありません。つながりは途方もなく広がるばかりで自分の知識のなさを思い知るばかりでした。それはどんなものでも同じですね。
大学へ行かなくても将来どんな環境で生活するようになるかわかりません。学んだことは応用しなくては役に立たない。買い物するのにとりあえず二次関数はいらないけれど、数学を知らなくてよかったと思うことはなかった。どんなものもつながりあっている広い世界を知ることで、その意外な結びつきを体感することができる。それはちょっとした感動です。
人は勉強するのが好きになるようにできている……のだと思う。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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