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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   感性社会を迎えるために   まなピー

 今までの社会の発展段階は大きく分けて狩猟社会、農業社会、工業社会、そして今現在盛期の情報社会に区分される。そして次期社会の重要な産業になると期待されているものに映像産業がある。これは、知識集約産業というよりは労働集約的な産業であるが、ここで要求されるのは人間が感動したり感激したりする内容を創造する能力である。終焉しつつある情報社会を代替して出現する感性社会では、技術は芸術も目指し、技術者は芸術家に変身すると言えよう。ところが、次世代の産業への期待が高まる中、私達は人の心をますます理解しにくくなってきているのだ。これでは、感性社会を迎えるにあたって不安が残ってしまう。
 そのための対策として第一に、コミュニケーションの大切さを認識するべきである。私がよく経験し、毎度反省させられることがある。それは、電車の中でのことだ。私は、恥ずかしい話だが、電車の中で高齢者や障害者の方々に席を譲ったことがない。いつもは大抵夢の中、ということもあるが、話しかける勇気がないのだ。だから、絶対に優先座席にはいくら疲れていても座らないようにしている(笑)。私は、少し前まで席を譲ることをさらりとこなしてしまう人は(本当は当たり前なのだが)、きちんとした身なりをした学識ある、真面目そうな人に違いないと思っていた。会話をしなければならないし、そのための勇気も必要になるからだ。ところがある日、私が電車に揺られているとき、私の目の前に座っていた、いかにも「闇取引はお得意です」みたいな人が、かわいらしい上品な着物姿のお婆さんに席を譲ったのだ。しかも、慣れた感じで。私は驚いた。どちらかといえば、世間からは罵声を浴びそうな雰囲気の人なのに。よく「人は見かけで判断できない」というが、まさにその通りだった。その反面私はというと、まったくただ座っているだけだ。譲ろうかの「ゆ」の字も考えなかったし、ましてや知らない人に話なんかかけられるかと思ったのである。ここで考えたいのはコミュニケーションを図ることの大切さだ。どんな人でも、コミュニケーション力がないと人と人の関わりが廃ってしまう。電車の中で、もし私がお婆さんに声をかけていればお婆さんの座りたいという意向が分かっただろうし、自分も席を譲れたはずなのだ。しかし、私が声を積極的にかけなかったためにお婆さんの心理状況が読めなかったのである。だから、私達は感性社会を向かえる前に早くコミュニケーション力を磨かなければならないと思う。しかし、今のところまだ、私の「席を譲れない症候群」は続行中であるが。
 そして第二の対策として、読書をするということが挙げられる。感性とは、自分で感じたことを人に正確に伝えることができてこそ、成り立つものだ。自分で感じたことを表現する方法を学ぶには、読書が一番である。本の中には、私達の知らない感覚を教えてくれたり、語彙力をあげるための要素がたっぷり詰まっている。私は読書が好きだが、あまり読む機会がないのが現実だ。だから私は語彙力のなさを自覚しているし、人と話すのがあまり得意だとは思っていない。私の友達でも、読書を頻繁におこなっている人は言葉の使い方が上手い。逆に、あまり読んでないと思われる人は「あれ」や「そんな感じ」といった空想させるような言葉の表現をする。こういった表現の仕方だと相手に正確な自分の心理状況を伝達できない。また、伝わったと思っていても相手に勘違いされて、結局伝わってないも同然になったりする。私が、一番「読書しなきゃ」と感じるのは、このように文章を自分で書いているときだ。書きたいことの概要は頭の中でイメージできていても、それを実際に文面に著せないことが非常に多く、そのたび自信喪失してしまう。もしかしたらもっと適切な言葉があるかもしれない。もっと表現方法を変えておもしろくしたいのにどうすればいいのか分からない。作文を書くことに慣れていなかった頃は、途中で進まなくなってリタイアすることが多く、放置された文章たちで埋め尽くされていたこともあった。しかし、毎週少し難解な文章に触れてみたり、自分から進んで本を読んだりしているうちに文を書くことに慣れてきた。今では、自分の考えを著すための表現方法のレパートリーが増えたと思っている。しかし、悩む間があったらとりあえず書いてみる、というように吹っ切れるようになったというのが本音な気がするが(笑)。このように「塵も積もれば山となる」方式で、読書をこころがけ、人の心理を読み取れる力を養うべきだ。
 確かに、私達が人を思いやる心を忘れたわけではない。ボランティア活動は、昔に比べてメジャーになってきたし、高齢者や障害者に対する扱いもずいぶんと良くなった。もちろんもっと身近なところに視野を移してみても、例えばご近所づきあいは都心では見られなくなったらしいが、私の地域ではみんなお互いのことを考えて行動している。しかし、
「メールで伝えることができても声に出せないことがある」
というように、これから感性社会を迎えるにあたって、まず自分の意思表示を正確にできないようでは、もちらん相手に伝わらないし、相手の意思も汲み取れない。私達は、もっと人と人の関わりを大切にしていかなければならないと思う。だから、これからは技術を身につけることも大切だが、表現力を養うことも大切である。

   講評   huzi


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