国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   こればかりは自分で(感)   ポッター

 江戸時代の曹洞宗の僧侶であり、歌人でもある良寛は、おそろしいほど無一物の生を送った。我々は現代文明によって甘やかされており、心身ともに脆弱になっていて、とてもそういう厳しい生には絶えられまい。が、心を草庵に置いてみることは出来る。そして全面的に物に頼っている我々の生を、良寛を試金石として考え直すことは出来る。
 そういう根本的な疑問の前に自分を立たせてみるとき、自分たちがいかに文明の提供する便利や快適の誘惑によって余計なものを多く持たされているか、それら物の過剰によって生そのものを見えなくしているかを知らされるのである。
 確かに、便利で快適な生活は良い。技術や科学が発達して、様々な商品が開発されてきた。パソコンがあれば世界中の情報を得ることが出来るし、携帯電話があれば何処にいても家族や友達と話すことが出来る。もっと凄いのは、家庭用ロボットが開発されたことだ。センサーでゴミのある場所を探し、自動的に動いて掃除を行ってくれるものもあれば、癒し系のパーソナルロボットなんかもある。
 また、家庭に限らず、学校や図書館などでもそのような物が増えてきた。私の学校は今年で創立五年目、まだ新しい学校である。設備は整っていて、校舎内もとても綺麗だ。各教室にはそれぞれエアコンとパソコンが二台設置されている。授業などもパソコン室で行うことがあり、週に一度はパソコンを用いてでの授業がある。ここが、この学校の特色、魅力である。一クラスの生徒全員が使用できる台数のパソコン、おそらく四十台以上の数があるのだ。インターネット、ワード、パワーポイント、Musik、名詞などなどのアイコンが、デスクトップにずらりと並んでいる。自分専用のカセットで何かを作成したり、またその中に保存したりと、様々なことが出来る。これも、設備が充実している御陰なのだと思う。
 しかし、そのように便利な物が沢山出てきている一方で、機械が全く無い、田舎で暮らすような真逆の生活も良いと思う。
 例えば、日曜日の夜にテレビで、TOKIOという歌手のグループがやっている、「ザ!鉄腕!DASH!!」という番組がある。その番組で毎回放送される「DASH村」での生活は、まさに自給自足だ。畑を耕したり、種をまいたり、草刈りをしたりなど、何から何まで自分たちでやるのだ。勿論、あの人達が寝泊まりする場所には、パソコンやエアコン、テレビなどは無い。家の中はとても広く、無駄な物は無い。「本当に必要なものだけ」を使って生活する、まさにその通りなのだ。
 今は物が溢れかえっていて、どうしても無駄な物が多くなってしまう。「必要だ、便利だ」と思って手に入れた物でさえ、後になるとどうでもよくなって、結局最後は廃棄してしまう。また、機械化が進み、様々な物が機械化していく中で、本当に大切なものを失ってしまったりする。また、現在は「時間」というものを重視しすぎて、「時間短縮」という言葉に拘束されているように思われる。言ってしまえば、今、私たちが日常生活の中で利用している機械製品は、すべて「時間短縮」の為にあるのではないだろうか。
 携帯電話は外にいても電話ボックスを探さずに済む。電子辞書は分厚い辞書を持ち歩く必要がない(またはその中に英和、和英、漢和、国語などの様々な辞典が内蔵されていることなど)。メモリオーディオやIpodなどは、CDやMDを買ったり作ったりせず、持ち運びに便利で、曲によってカセットを入れ替える手間がない。そう考えてしまうと、なんだか「時間」というものに束縛されているような気がしてたまらないのだ。農作業だって、現在はコンバインや洗浄・搬送機などの大型機械を使っている農家がほとんどだ。あの、TOKIOの人達のように、すべて手作業でやる人はそういないだろう。
 確かに、機械製品に囲まれている生活から、何もない荒れ地に放り出されて、「お前は今日から此処で暮らせ」と言われたら無理がある。きっと私だったら、慣れない環境に絶えられず、気絶してしまうだろう。でも、少しずつでもいい。身の周りにある物を、整理してみたらどうだろうか。本当に必要なもの、それだけの生活にしてみたらどうだろうか。きっと、すばらしいものが得られると思うのだ。
 機械は便利で性能もよく、使い勝手が良い。それと同じように、自然のものにはそれ独特の、素朴だけれどもそれでしか感じられないものがある。「未来には、ひとりでに出来る未来と、自分で作る未来との二つがある」という名言がある。機械に囲まれた生活によって出来る未来と、自分で自給自足の生活をすることによって出来る未来。あなたはどちらが良いだろうか。その道を歩んだことによって、最後に辿り着いたとき、得られるものは何であろうか。最も大切なのは、自分の満足できる、楽しい道を歩んでいくことだと思う。

   講評   inoko


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