低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
会話の息継ぎ AZUKI
適宜、風を吹かせながらの饒舌であれば、聞き逃されることも少なく、風の間に相手が連想し思考する余韻を与えておいて、つねにたたみかけるのもいい、しかし風を通さない饒舌は、聞いているほうも苦しくなり、終わったときには、さて、何を聞いたのかということにもなりかねません。思わせぶりな「間」は、いい余韻にも、余情にもならないでしょう。「間」のことを思う時に、私はよく朱色の当が描いてあるパリの風景画を見ています。このように、「間」はお互いに話の楽しさを共有するためにも大切だと、私は考える。
そう考える理由の第一に、間を取ることで、熟語にもある『以心伝心』ということをすることで、今までにないコミュニケーションを取ることが出来るからだ。
こういう体験があった。それまで私は、あるゲームの話で私と友達は、異様に盛り上がっていた。しかし、電車が閉まると同時に、少しの沈黙があった。
「・・・・・。」
「・・・・・?」
「・・・・・(^^)」
「・・・・・(゜。゜)」
「・・・あっそうそう、それから・・・・」
顔文字のところは、そのときの表情を表している。これを以心伝心というのだと思う。私も、そのときはなんとなくわかったが、けっこうたった今では、どんなことを会話したのか忘れてしまった。(これが、ひとつの欠点でもある{笑})
第二の理由は、間を少しずつ取ることで、最悪な状況を免れることが出来るということである。話を続けるということは、イコール思ったことをすぐに口に出す、ということだ。頭でよくよく考えなければ、言っていいことと悪いことの区別がつかない。いってしまってから、(しまった!!)と思ってみても、もう遅い。こうならないためにも、「間」というのは、大切なものだと思う。
たしかに、間は、険悪な不陰気を作り出す手助けをしないとも限らない。しかし、「行動するためには、多くのことに無知でなければならない」という名言にあるとおり、何事も経験。経験は、最良の教師であるという名言まであるぐらいだ。
このようなことから、私は間がよいものであると考える。
講評 miri
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
|
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)
| |