国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
自由人として 周
専門家は自分の専門とする事柄についてはよく知っていても、ただそれだけだったらほとんど全ての事柄については無知である。ところが、自分の専門外の事柄についてある程度理解することができ、思慮分別をともなった言論を展開できる人たちがいる。人が自分の専門外について考え、論じるときに拠りどころとなるのは常識である。しかし、知恵を伴う言論ということになると、常識ではなく教養が基盤となる。教養というのは、その道の専門家になるための技術として学ばれるのではなく、一個の素人としての自由人にふさわしいものとして学ばれるのである。僕は専門的知識だけでなく幅広い教養を身に付けた人間になりたい。
そのための方法としては第一に、何かを学ぶときに、自分の得意分野以外のことにも目を向けることである。僕は美術がとても嫌いだったが、去年異動で僕の学校に来た美術の先生が授業で透視図法というものを教えてくれた。「これは絵の下手な僕でもできそうだな」と思ってやっていると、とても面白くなってきた。これがきっかけとなって僕は美術が少し好きになった。自分の好きな分野以外のものでも、やってみるとすごく面白かったということもある。だから、やったこともないのに嫌がるのではなく、少しは目を向けてみるといいと思う。<<実例>>
また、第二の方法としては知識の詰め込みだけでなく教養をつける体験的な勉強をすることである。僕は小学6年生のときに学校で稲作を体験した。そのときには近くの農家の人が講師として招かれて僕たちを教えてくれて、少しの時間しか咲かない稲の花を見たりと、いろいろなことを体験した。また、ある幼稚園では子どもたちに茶道を教えているところもあるそうだ。やはり、知識だけを学ぶよりも、実際に体験したほうが勉強になるだろう。
確かに、専門的分野を極めてより深く追求していくことが大切である。しかし、「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言があるように、僕は「専門バカ」になるのではなく、幅広い教養を身に付けていきたい。
講評 kira
周くん、こんにちは。幅広い教養を身に付けた人物で、ふと日本の象徴である天皇を思いました。というのは、最近のニュースで、訪問されたタイの国で、各国の王族のなかで最も洗練されていたのが日本の天皇皇后であったっと聞いたからです。これは、偏差値の高さとか、所得の多さといったものさしを、一切超越したすばらしさですよね。
自分の意外な側面を発見するのは面白いことです。透視図法、ちょっと数学的理科的な手法ですよね。先生も美術部の娘に解説してもらいました。芸術のなにやら曖昧模糊としたものと違って、非常に腑に落ちるやりかたです。
体験学習は、最近とくに熱心に取り組まれていますが、なかなか実践的にはいかないようです。上げ膳据え膳の体験では、不十分に思えてなりません。そういったことも昔は、親や祖父母や共同体の人たちが、年中行事などで自然に子どもたちにつたえたのでした。今では、特別に補う必要があるんだね。
知識が人間の値打ちをつくっていくなんておかしいし、ありえないことです。まず豊かでやさしい人間がいて、そこに知識がついていくんだよね。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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