創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   姿勢の大切さ   トノチュウ

 日常現実の生活では、人間は能のような足の動きはしない。その動きは不自然で人間の足というものの働きを封じこめ、拒否している。この拒否の地点に実は、どんな役にも変化する白紙の可能性が秘められている。それは何者にもならないということをふくんでいる。この構造の根底には型が深く関与している。型を繰り返すことにより、型を超えた物を得、それを自由に操ることが出来るようになる。この思想のもとには、人間の自然、身体というものへの否定がある。身体の生理というものが穢れたものだという考えがそこにある。(要約)
たしかに結末だけで物事を判断できる結果論は速いし、簡単である。しかしその過程を完全に無視することは危険である。日本人の心の底流には能や茶道などの古くからの文化が深く絡んでおり、それには精神と肉体は型によって同じものにできるという意識が流れている。だから日本人は勉強においてもスポーツにおいてもまずは基本を徹底することから始めていた。しかし最近では結果論がはこびるようになり、日本古来の精神論がないがしろにされはじめた。(主題)
その原因についてはまず第一に日本の西洋化が挙げられる。(複数の原因1)近年、日本では文化、慣習など多くの分野について西洋化がみられた。その背後には第二次世界での敗戦が深く関与している。敗戦以後、国内では教育をはじめとした様々な西洋化改革が多方面で行われたせいで、日本が大戦に負けたのはあたかも日本文化が西洋に劣っていたからというような考えが根づいてしまったからである。とくに教育面でいままで鬼畜と呼んでいたアメリカ人を民主主義の鏡としてもちあげるあの変わりようにはだれもが驚いただろう。(社会実例)
第二の原因は現代人の忙しさにあるだろう。(複数の原因2)成功しないと意味がないとか失敗は許されないなどということを最近よく聞く。現代社会は多忙すぎて、物事の表面的な事しか把握出来ていない場合が多い。過程をよく知らないまま、結果だけで物事を判断しがちになってしまう。これには僕も体験がある。体育の授業でサッカーをやった時の話だ。特に運動神経がずば抜けて良い訳ではなく、目立った活躍も出来ない僕は、みんなの嫌がる仕事、つまり後衛に回される事が常だった。そんなある日、事件が起きる。チームが猛烈に攻めていた時、センターラインまで前進していた僕にボールが回ってきた。僕は特に考えもせず、ゴール前の味方へボールを上げようとしたが、足が滑ってボールの中心ではなくボールの下半分をこするような蹴り方になってしまった。コントロールされていないボールはゴールの斜め上を通過するように見えたが、次の瞬間ボールはまるで吸い込まれるように曲がって落ち、慌てるキーパーの手をかわしてゴール内に落ちた。一瞬の間に起こったその動きは風に吹かれたピンポン玉に似ていた。
周りの人間が次々に声をかけてくる。「あの距離からよくやったな!どうやって蹴ったんだ?」それが分かってれば今ごろ僕はエースだろう。(笑)しかしその功績が認められ、前よりはいいポジションにつくことが出来た。一見この話はハッピーエンドに見えるかもしれないが、実際は違う。僕は偶然でゴールを決めただけにすぎないのにそれが実力て勘違いされていまったのだ。その後僕は二度とゴールを決めることができなかったからだ。(体験実例)手っ取り早く結果だけをみているとこうなる。
たしかに姿勢など関係ないという人もいるだろう。(反対意見への理解)しかし姿勢と精神は深く結びついており、関係ないなどということはないのだ。(まとめ)


   講評   yama

 こんにちは。苦労して苦労して、やっと書き上げた感想文でしたね。これまで悩んだ時間は決して無駄ではありません。あきらめずにしっかりとやり遂げたその努力がすばらしいと思います。

<社会問題の主題>進級試験の時に限ってと電話でも言っていましたが、内容がとりづらかったようですね。そのため主題を出すのが難しかったのだと思います。「精神論⇔結果論」というよりは、「精神と姿勢は結びついている⇔体と心は別物である」というのが長文の主旨ですよね。精神論、結果論という言葉を使うと少しずれた印象になってしまいますよ。
<複数の原因><体験実例>一つ目には日本の西洋化、二つ目には現代人の忙しさをあげてくれました。実例もなんとかしぼりだせましたね。一つ目の原因についてはバッチリだと思いますが、二つ目の原因についてはまさに「結果論」についての考察になってしまっています。心の内が体にあらわれるのだという主旨から離れないように気をつけましょう。
<ユーモア表現>偶然を偶然と思わせないだなんて、その後も動揺せずにうまく対応したんだね(笑)ボールの動きもたとえをつかって「風に吹かれたピンポン玉に似ていた」と絶妙の表現ができています。この一文が光っているね!
<反対意見への理解>まとめの部分では、しっかりと「姿勢と精神」についての考察にもどることができています。あとは原因と実例もそれに即したものが書けると統一感のあるまとまった感想文になりますよ!


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