創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人民の人民による人民のための知識   ノンキィ

 現代は、学術研究の場だけでなく、企業活動の場においても専門家が進んでいる。自分の専門とする事柄以外のことについて無知である一部の専門家に対し、常識と教養に基づいて自分の専門外についてある程度理解できる人がいる。常識は、非専門化向けの、非専門家同士の言論の基盤なのである。
 自分の身の回りにはいったい何人の専門家がいるだろう。そんなすごい人、一人もいないという人へ。「専門」とは、生活するために必要なもののことだ。従って、今社会に出て働いている人たちは皆何かのスペシャリストだということが出来る。もちろん家事も、大切な仕事のひとつに数えてなんの差し支えもないはずだ。けれど一般に、私たちにとって専門家とは、何か研究をしていたり忙しく海外出張を繰り返す人だというイメージがある。専門家を専門家らしく見せているのは専門的な知識であり、ごく普通の大衆の一人だと見せるのが常識や一般教養だと思う。これから社会人になってゆく私は、ぜひともそのどちらをも兼ね備えたマルチな庶民兼専門家として羽ばたきたいと考えている(笑。(主題)(表現)
 その方法として、多彩な趣味を持つことが重要になると思う。趣味というのは例えば音楽鑑賞であれスポーツであれ、ある一定の知識を必要とする。だから多くの趣味を楽しむことは、幅広く豊富な教養を獲得するためにふさわしい道の一つだと思うのである。人として、人間社会で暮らす上で最低限必要な知識は普通「常識」と呼ばれる。一方、教養とはこれもまた私たちの生活の必需品であるが、こちらは常識よりワンランク上に位置し、人間の暮らしに豊かさを上乗せするものだと考えている。従って私たちが普段多彩な才能をもつ人を見て教養のある人だと感じるのは当然のことなのである。常識はもちろん、この教養というもの、一朝一夕で手に入るような代物ではない。だからこそそれを日々楽しんで身につけていくために、趣味の持つ力は偉大だといえる。(構成1)
 第二の方法は、自分の興味のある分野だけでなく学問の壁を越え、出来る限りたくさんのことを学ぶところにある。まだひとつの学問も深く習ったわけではない私には漠然としか分からないが、あらゆる学問というものはその一番根底で蜘蛛の巣のように複雑につながっているのではないだろうか。特に最近では、地球規模の研究は全て幾つかの分野にまたがっている。環境問題については医学、生物学、経済学や地歴学にも共通している。また、医療と倫理の組み合わせも現代の社会にとっては不可欠となっている。この間学校で、将来の自らの進路について考えることをねらいとした進路ガイダンスがあった。そこで卒業生や先生が皆口をそろえて語られていたのは、中学というこれからの学習の基礎を作る時期にはまずたくさんのことに興味を持って積極的に取り組むということだった。大学と中学を一緒にするなと怒られるかもしれない。けれど、一つの分野に偏った知識だけを持つのではなく、それと隣接した学問へのアプローチが、私たちを高める近道になってくれる。(構成2)(題材)
 ただもちろん、何かに対してとことん打ち込むというのは非常に大切だと思う。実際歴史に名を残してきた発明家、研究家も、一生を自分の専門に費やした人がほとんどであると聞く。その点で、専門的知識は充分評価するに値する。だがこれからは、「何事もしないものだけが失敗もしない」時代。専門の壁をぶち壊し、その先へと駒を進めよう。専門知識に縛られて動けなくなっている場合ではない。何か自分がやりたいものを見つけたら、その次へどんどん知識の世界を広げていくのだ。たまにはずれはあるかもしれない。けれど、一般教養と常識のあるマルチな専門家というかっこいい響きに憧れる。だから、日々大量に出される課題にも何とか耐えていこうと思う。(主題)(表現)

   講評   nara

 導入部の「マルチな庶民兼専門家」という提案がいいなぁ。私たちの従来のイメージには、二つの要素を兼ね備えることは難しいということがあったかもしれないね。従来のとらえ方に縛られずに「こうありたい」と主張している点、それが最近のノンキィさんの作文の明るさの素になっているのだろうな。
 第一方法:常識と教養を自分の言葉で定義した上で、何をすべきかを明らかにしたのがいい。学問的な面で直接の関わりがないとしても、人生の豊かさが学問研究に対して、プラスの影響を及ぼすことはありそうだね。直感やひらめきなどがそこから生まれることもあるだろう。
 第二方法:今や「専門バカ」では通用しないということだろうな。ある一分野を掘り下げれば掘り下げるほど、根は横にも広がっていく。深く広く根を広げたものは、地上にも豊かな実りをもたらすに違いないものね。根を広げていくときに、第一方法で提示した常識・教養が栄養になることもあるかもしれないなぁ。
 まとめの「かっこいい響きに憧れる」というところに、つい笑ってしまったけれど、ノンキィさんらしい考え方だ。「かっこいい」というのは価値観だものね。それは、自分の求める理想の姿でもある。それが自らの中にあれば、そこに近づこうと努力はできるはずだ。ノンキィさんに名言のプレゼントを! 
 ★自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。★

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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