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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   手助けの有効利用   千代紙

 私は、小学生のころ、算数で分からなかった問題を、母に教えてもらったことがあった。教えてもらったその時はできて、自分もできる気になっていたのだが、いざ、似たような問題をやってみると、解けないのである。母の手助けに頼りすぎていたのだろう。(でも、今考えてみると、当時私が教えられていたのは、連立方程式の代入法や、因数分解などといった、通常中学生になってから習うようなものだったので、無理もなかったような気がする。)
 確かに、手助けは良い。例えば街で障害者が困っていたら、「助けてあげよう」と思うのが人の情である。当然、手助けしてもらったほうが、向こうも良いだろう。(しかし、私はそういう体験をしたことがないので分からない。もしかしたら、これは私たちの自己満足なだけかもしれない。)が、手助けにも感じのいいものと、悪いものがある。例えば、目の見えない人の手助けをするときに、いきなり腕をつかむと、その人はいったい何が起こったのか、わからないだろう。逆に、ちゃんと、声をかけてからやると、感じもいいし、向こうはうれしく思うし、こちらは感謝してもらえて、うれしいだろう。それに、周りの人も、「あ、この人は優しい人だな。」と思い、見る目が優しくなるだろう。その場の空気が、ほんわかとしたものになるのだ。
 しかし、手助けが迷惑になる時もある。例えば、先にも書いたように、問題、特に算数や数学、を教えてもらう時に、手助けしてくれた問題は後で、自分で解くときに少し苦労する。手助けに少し頼りすぎて自分で解くということを理解していないからなのだ。また、なぜか勉強を始めようと思ったころに言われる「そろそろ勉強始めなさい」。親にしてみれば、手助けのつもりなのであろうが、子供にしてみれば、迷惑な話である。これからやろうとしているところに、追い討ちをかけられて、ただでさえ気分が悪いのに、分からなくて考えていると、「ここはこうでしょ。習ったところじゃないの。何で分からないの?」などと、口を突っ込まれてはひとたまりもない。これはただおせっかいなだけである。そして、自立の邪魔になるだけである。
 確かに手助けには良い面も悪い面もある。しかし、いちばん大切なことは、『大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。』という名言もあるように、手助けするにしてもしないにしてもそれが見せかけの優しさではなく、そこに本当に相手に対する思いやりがあるかどうかということである。


   講評   takeko

今回は、最後の総合化の主題がとてもいいですねえ!名言もよいものを選びましたが、手助けの本質をついています。人を助けるというのは、本当にむずかしいことです。どこまでが本当にその人のためになる手助けなのか見極めるには、いくつもの失敗をしたり、たくさんの人の経験談をおしゃべりの中から聞いていかなければならないかも。でも、ほんとうの手助けを学ぶためには、だからこそ、やってみなければならないのですよね。やはり、自分や家族ならどうするだろう・・・と想像してみることが一番かもしれませんね。私も母が今、ひざが痛いので杖をついて歩いているのですが、そのつらそうな様子を見てからは、杖をついた方が電車やバスに乗ってこられたら、ちょっと遠くにいても、席をぜったいにゆずってあげることにしています。それとやっぱり、「助けてほしい」と言ってもらえるのもありがたいですよね。自分もこまったときは、すなおに「助けてほしい」と言おうと思っています。(でも言いすぎはだめですが)意見A、Bともによく書けていたので、今回の講評はちょっと雑談にしてみました。絵もかわいいのを見つけましたね!


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