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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   障害者の権利   紫式部

 私の学校では新たに特別支援学級というものができた。それは知能やどこかの感覚器官が上手く機能しない子供たちの特別なクラスだ。そのような子供を持つ親が札幌市に普通の子供と変わらない授業の提供を求めて訴え、それが叶ってこのような運びとなったのだ。障害者を受け入れるにあたって学校では、障害者に合った学校づくりや子供たちの通ってくる地域づくりを考え始めた。総合の時間では障害者に対する設備の工夫を考えたりした。実際いろいろ見聞きして最近はバリアフリーなどの設備が増えてきたと感じた。一方でそんな設備が整っていれば障害者にとって不自由なく生活ができるのか? といったら違うだろう。何処まで私たちは障害者を支援していいのだろう? ラインが見えない。何処まで手出すけをしてやったら良いのだろう? ラインが見えない。はっきりとしたことが分からない、障害者とどう付き合っていけばよいのか考えてみた。
 まず、障害者にどんどん手を差し延べるというやり方だ。本当に困っている人がいたらすぐにでも手を差し延べるべきだと思う。私は英語の塾に通っているのだが、その帰りに必ず目の見えないおばあちゃんに会う。歳は60歳くらいで障害物を避けるために杖を自分より前に突きながら進んでいく。慣れているのだろうが、少しおぼつかない足取りなのでつい心配してしまう。地下鉄に間に合わないと思いながらも少し離れて隣を歩いてしまう。信号機が赤から青に変わったとき、「変わりましたよ。」と教えてあげた。すると、一瞬びっくりしたような顔になってそれからとても嬉しそうな顔をしてくれたのだ。このように手を貸すことで、相手を助けることもできるし、自分も嬉しい。また今は障害者に合わせた街づくりも進められている。車椅子のため信号機の押しボタンの位置を低くしたり、点字をいろいろな所で使ったりと、さまざまに工夫している。これも障害者に手を差し延べる行いの一つだ。
 次に、「人として尊重する」、「苦境に直面する」権利を与えるべきだという考えだ。障害者は一人の人間として考えてあげることが大事だ。障害者に手を差し延べるのは大事だが、これはある意味障害者を下に見ている行為とも言える。「あーあ、あなたはこんなこともできないの?」「じゃあ、やってあげる。」という気持ちでやっている人もいるはずだ。これではだめなのだ。出来なくて悔しい思いをするのも、周りから何かをいわれて落ち込むのもすべて自分の権利だというのである。そしてその「苦境に直面する」ことで得たものは少なからずその人の今後の人生を助けてくれる力になるのではないか? と、思った。今、支援学級に通っているのは2人で一人は脳に障害がある子、もう一人は目に障害がある子である。障害を受けている場所はまったく異なるものの共通している点が一つあるのだ。それは、手助けを受けすぎると必ず強い力で拒否反応を起こすのだ。二人が先生と一緒に何かをやっているのをよく見かける。先生は常に二人の後に付き手助けをしている。水を飲むとき蛇口をひねったり、玄関で靴を履くとき靴を出してあげている。そんな時、二人は拒むように先生の体を押す。強く、強く。その行為は意識的に自分の権利を主張しているわけではないだろう。しかし、少なからずそのような感情があると私には思えるのである。
 障害者に手を差し延べる事は大事であるし、障害者を尊重する権利を守ることも大事であるが本当に大切なことは何だろう? 「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値をもっている」ということわざがあるように子供(障害者)として判断するのではなく、独自の価値を持っている一人の大人(一般人)として対等に付き合っていける社会をつくることが大事であると思う。しかし、言うは易くそんな社会になっているのか。これからの私たちの課題である。

   講評   kira


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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