低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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生きる知恵 れもん
生きもののように焔をあげ、やがて燃えつきて灰になっていくかつての火の姿。それには、霊的な生命を予感させる存在感があり、すべての人びとの心に、火の思い出にまつわるさまざまな感情を呼び起こしたものだった。しかし、そんな火との対話さえ、最近では次第に忘れられていく。人類が、即効的な生き方を望み、生きやすい環境よりも、便利な生活を優先した結果、火はポケットの中のライターのような貧弱な存在へと化してしまった。私は便利さだけを追及した狭い生き方よりも、時間はかかっても、生きる知恵を自分の手で習得しながら生きていきたい。(生き方)
そのためにはまず、便利なものに頼らず、自分の手足を使うことが大切だ。例えば、少しの距離なら、面倒臭がって自動車を使用せずに、自転車や徒歩で移動するということだ。そうするとこにより、様々な幸福に出会うことができる。自動車では猛スピードで通り過ぎるところに、季節の変化を感じるような花が咲いていたり、鳥が鳴いていたり。便利さを追求せずに、自分の手足を追及することにより、気持ちを穏やかにしてくれる効果もあるのだ。(複数の方法Ⅰ)
次に、学校教育においても、机上の勉強だけではなく、実体験にもとづく学習を取り入れていくことが大切だ。私は小学校四年生のとき、初めて自炊をする体験をした。それを通して、私は火をおこすことの大変さを感じることができた。それは、今でも鮮明に覚えている感覚だ。このように、幼い頃実体験で学んだ感覚は、根強く心に残るものである。(複数の方法Ⅱ)(体験)
確かに、人間はつい便利なものに頼ってしまいがちである。しかし、、「私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある」という名言もあるように、生きるための知恵は、自らの手足やある程度の時間をかけて養われるものなのである。私は、必要以上に時間に追われることなく、人生の知恵をじっくり学びながら、素直に生きていきたい。(反対意見)(名言)(生き方)
講評 nara
火は生き物にとって生命を脅かす危険なものであり、かつ、それをコントロールできるようになったことで、人間は大きな力を手に入れることができた。火の本質は変わらないのに、コントロールされ身近なものであるという実感がわかないくらいに危険性を排除されたことで、かえって危険性が高まっている面もあるかもしれないね。
第一方法:今は火のコントロールに限らず、あらゆるもので、手足を使わない技術がもてはやされている。最近のヒット家電で、「10年間掃除不要のエアコン」があるとのこと。手を使うことをなぜそれほどまでに厭うのか。その感覚が生まれた背景も考えてみるとおもしろそうだ。
第二方法:れもんさんの親世代においては、家庭生活の中で体験できていたこと(体験させられていたこと!?)が、今ではそうも言っていられなくなったのだろうな。社会の仕組みや家族構成の変化なども関係しているはずだ。となれば、学校教育に可能性を見出すというのは、わかりやすく現実的な方法だね。幼いころは変な知恵がついていない分、体感による刷り込みがスムースだという点も、第二方法を後押しするね。
まとめにある「必要以上に時間に追われることなく」という点には、いろいろと考えることがある。技術が進み、手足を動かさなくてもすむようになっているはずなのに、なぜかゆったりとした気分にならないのはどうしてだろう。便利で楽な状態は、人を満足させるために不可欠な条件ではないということだね。
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