国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   視覚系は(感)   ポッター

 大きさを知るという、甚だ単純なことができないので、人の世ではモノサシを売っているのである。たいへん便利なものである。なぜそれほど便利かといえば、視覚系だけにまかせておくと、大きさの絶対値がわからないからである。
 それを幾何学に持ち込むと、比例あるいは相似になる。相似というのは、形は同じだが、絶対的な大きさはどうでもいい。それはまさしく、視覚系の性質である。レンズを通った光は網膜に像を結ぶ。その後の大きさは、見ている物体の距離が遠ければ小さくなり、近ければ大きくなる。
 我々が「比例」とか「相似」を考えることができるのは、本来、視覚系にそういう性質が存在するからであろう。目の網膜は、発生的、構造的には、じつは脳の延長であり、相似とは、脳の一部がやっていることを、脳のどこかの部分がよく知っている、ということかもしれないのである。
 私は、絶対的に考えることと、相対的に考えることは、場合によって使い分けることが大切だと思う。
 まず、絶対的な考えについて述べてみよう。
 率直に言うと、人間が絶対的な考えを持ち出すことは、あまりないと言って良いだろう。自分の憧れ、目指すものをとことん見る、そういう人が絶対的思考を持つひとだと思う。
 中学校入ると、定期考査という、嫌でも学年内の順位がでるものがある。勿論、一位から最下位まで、全ての順位が割り出され、生徒に伝わる。吉と出るか凶と出るか(?)は、個人の努力によって違うだろう。しかし、努力しなくても吉と出る者もいる。塾や通信教育をやっていなくても、参考書や教科書だけで理解できてしまう人。大体五十人に一人、つまり五十分の一の確率で、そのような逸材が生まれてくるのだと思う。
 実際私のクラスにも、その「逸材」に当てはまる人物がいる。頭の良い男子生徒なのだが、これがとてつもなく恐ろしい。定期考査では毎回五位以内に入っているにも関わらず、授業はあまり真面目には受けていない。国語の時間は教卓の前で堂々と寝ているのだが、テストでは必ず九十点以上取っている。塾にも通っていなければ通信教育もやっていないというので、どのような勉強法をしているのか聞いたところ、参考書や問題集を買って、勉強しているそうだ。
 しかし、彼は周りを気にすることが滅多にない。定期考査や全国模試で順位が出ても、さして気には留めない。点数が良いから成績も良くなるだろうとか、順位が上だからもっとレヴェルの高い学校を狙えるとか、そういうことは考えていない。自分の行きたいところに行って、自分のやりたいようにやる、ただそれだけだ。彼のように絶対的な思考を持っている人は、周りの人に左右されることなく、常に自分の意志や意見を揺らがすことがない。これは、素晴らしいことだと思う。
 しかし、周りと自分とをよく見て考えるというような、相対的な考えも必要だと思う。
 先程のテストの例を挙げてみよう。そもそもテストとは、自分の実力を計ったり、自分が全体でどの位置にいるのかというものを調べる為のものだ。自分の点数などを見て、どの分野を伸ばしていけば良い結果に繋がるのか、自分はどれが苦手なのかを把握し、それに合わせた勉強法をすることが大切なのだ。また、自分と他人とを比較してみることも大切だと思う。
 会議などでも、自分の意見を優先するのは勿論だが、周囲の目も時には気にしなければならない。自己の意見だけを通そうとするのではなく、周りの人の意見も聞き入れ、出てきた案を推敲し、より良いものを作っていく。
 「自己中心的」という言葉を知っているだろうか? 良い意味で言えばマイペース、悪い意味で言えば我が儘、ということになる。しかしこの言葉を使う場合、後者の意味で使用されることが多々ある。これは絶対的と相対的と、どちらに当てはまるのか。無論、絶対的な方である。周りに流されることがない、というのは良いことだが、悪い意味ではこの、「自己中」に当てはまってしまうのだ。相対的というのは、個人個人の持っているものを比べたり、大勢の中にいる一人を見てみたりすることなのではないか、と思う。そうすることで、一人一人の長所短所が見えてきたり、同じように、自分も周囲に認識されるのだ。
 相対的な考えを持っている人は、一言で言うと心が広い。自分自身だけではなく、周囲を見る目を備えている。広い視野で様々なものを見ることが出来るというのも、良いことだと思う。
 確かに、常に自らの意志を曲げない、絶対的な考えも必要だし、自分だけでなく周囲の意見も受け容れるという、相対的な考えも必要だ。しかし、「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている」という名言がある。子供には子供にしかない価値がある、ということだ。それと同じように、今まで述べた二つのものにも、それぞれ価値がある。時と場合によって、どちらを重視するか、今はどちらの考えを使うことが最善なのかを判断し、使い分けることが大切だと思う。

   講評   inoko

 ポッターさん、こんにちは。少し難解な文章。そして、相対的、絶対的というとらえにくいテーマでしたが、成績のことをあてはめて考えてみると、理解しやすくなりましたね。人間には柔軟性が必要です。特に今のような情報過多の時代では、相対的か絶対的かどちらか一方の考え方に固執してしまったら、大事なことを見失いかねません。自分自身を見つめ直すときにも、どちらの考え方が合っているか、そのときにより異なると思います。主体性がないのはよくありませんが、自分の足元が固まった上での柔軟性は、私たちには必要なことですね。
☆ 字数、項目ともにクリアできました。今回も合格!


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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