国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
世界じゅうどこへ行ってもを読んで コムギコ
旅行者たちをとりかこむ小さな「日本」、あるいは、彼らが持ち歩く「日本」、それを、わ」たしは「文化的カプセル」と名づける。もちろん、人間というものは、おしなべて保守的な存在であって、自分にとってなじみのある世界から離れることを非常に嫌う習性がある。ある年にも日本から一万人以上の観光客がハワイにやってきた。ハワイの観光局は日本の人たちを家庭に招きましょう、という「家庭訪問」プログラムをつくったのである。ところが、驚くべきことが起こった。この日本人が、ことごとく尻ごみしたのである。関心を示さないのである。
<<こうせい>>要約/感想文
僕も文化的カプセルに入ってしまったことがある。それはテニスの合宿のとき知っている人と知らない人がいた。知っている人とはもっと仲良く慣れたが、知らない人とは知っている人とだけでカプセルの中に入ってしまい、知らない人は知らないままで終わってしまった。文化的カプセルの中に入ってしまうと本当にカプセルから足を踏み出すのが難しくなってくる。そしてカプセルの中にこもってしまうとカプセルの中から足を踏み出そうという気持ちも無くなっていってしまう。文化的カプセルの中に入るとなかなか出られなくなるのではないかなと思った。
学校でもカプセルに入ってしまったときがある。外に出られない休み時間のとき、僕は他の友達と話をしないで水などを飲んだら、本を読む。本を読んだらもう文化的カプセル
にはいってしまって、授業が始まってもなかなか抜けることが難しい。まるで周りが見えないかのように熱中してしまう。文化的カプセルに入らないようにすればいいのか入ってもいいのか分からなくなる。
<<だいざい>>体験実例 <<ひょうげん>>たとえユーモアひょうげん
文化的カプセルとは人間にとってその国によって文化的カプセルの中身が違う。文化的カプセルはあってもいいときと、無いほうがいいなというときがある。文化的カプセルはそのときの状況によってあったりなかったりして文化的カプセルにずっと入っていないで文化的カプセルから出ていろいろな人と接するのがいいと思う。
<<しゅだい>>一般化の主題
講評 muri
「郷に入っては郷に従え」ということわざがありますね。
これは、その土地ではその土地の習慣に従えという意味ですが、多くの人がそうできないからこそ、このようなことわざがあるのかもしれません。
●体験実例:文化的カプセルのように、普段あまり意識しないものを自分の体験から探すのは、とても難しいことだったのではないでしょうか。でも、とてもよい例を自分の身近な体験から探すことができましたね。特に、テニスの合宿で知らない人と仲良くならないままで終わってしまったという体験は、見えないカプセルのことをとてもよく表していると思います。いろいろな人と知り合う機会を文化的カプセルのために、有効に活かせないのは、もったいないですよね。
読書に熱中してしまうとカプセルに入ったようになってしまうのも、とてもおもしろい例だと思います。これは、熱中するあまりのことですから、時にはそういうことがあってもいいのではないかな?授業中は困るけどね。
●一般化の主題:「文化的カプセルはあってもいいときと、無いほうがいいなというときがある」という意見は、とてもいいですね。長文を読むと、文化的カプセルは悪い面が協調されているように思いますが、しっかりした文化的カプセルを持つことも、とても大切だと、私も思います。
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