国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   努力は・・・   リラックマン

 頑張ることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使う。日本の漢字には音読みと訓読みがある。「べんきょう」とは訓読みだが、音読みになおすと「つとめしいる」と読むことができる。「つとめる」とは一生懸命にはげむこと、「しいる」とは、無理やりやらされるといった意味だ。つまり、「勉強」には、「学問につとめはげむ」という意味の中に、何を無理強いするニュアンスがふくまれるため、はじめからいやな印象がつきまとっているのだ。「勉強しなさい」といわれ、いやな気分になるのはもっともなことかもしれない。「勉強」とは、それ自体が目的でなく、あくまでもそこへ行きつくための手段にすぎない。手段を目的とかんちがいするときに、「勉強」は単なる苦痛の種になってしまうのだと思う。大切なのは、なんのために学ぶかだ。したがって、学生時代とはこの課題を「勉強」を通じて考えていく、いわば自分探しの旅の始まりにもたとえることができるだろう。(要約)
 私は、この話を読んで一番納得したことは、いやいややった勉強では身についていないということだ。いくらたくさん勉強をしても、やりながら覚えなければ水の泡だ。
 私が小学校生活の中で一番嫌いなことはテストだ。やらなければいけないことと分かっているからやるものの、とても面倒くさい。短い時間でも集中して勉強たテストは、点数がいい。長い時間かけても集中していなければ、テストの点数は悪い。勉強は面倒だけれどテストの点数が悪くてお母さんに怒られるより勉強するほうがいいと私は思っているから勉強をがんばるのだ。
 前にも何度か話したことがあるが、私は鉄棒が大好きだ。何故か人間は好きなものだと努力ができるのだ。他の人ができる技が自分だけできないと、くやしいから練習をする。そしてできるようになる。鉄棒はそれがあるから好きだ。そうなると、勉強にも努力が必要だから好きになるはず・・・。まだ私は勉強の楽しさみたいなものを見つけていないのだと思う。それをこれから見つけるのが私の今できることなのかもしれない。
 私はこの話を読み、人間は、好きなことなら努力ができる。嫌いなものにも努力があるかぎり、そのもののいいところを見つければきっと好きになるということがわかった。

   講評   miri

 リラックマンさんのように、いっしょうけんめい何かをがんばったことのある人は、この長文の意味が実感できることでしょう。実例にそれが生かされています。
 勉強に関しても、このように自ら進んで取り組み、「少し休んだら? 」なんていわれるようになってみたいと誰しも思うものですが、、、。いつかほんとうに興味のあること、自分で必要と思うものに出会ったら、テストのあるなしにかかわらず、寝食忘れて没頭しますよね。 
                 

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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