国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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言語の変化 タラちゃん
語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化を来すことがある。しかし、言葉の正しさを論ずる時にとかく語源が引き合いに出されるが、語源の通りでは社会状勢の変化のために合わなくなるものが多い。また、その言語意識を作り上げるのは、主としてその人の経験、教養、学校で受けた教育である。言葉の正しさの規範意識もそこから生まれ出るようだ。
ところで、実態に合わせて言葉を変えていくべきではないと思う。
第一の理由として、頻繁に言葉を変えると混乱が起こるからだ。
一度決まった言語の意味をまた1年後に変えて、また1年後、1年後・・・。こうなると混乱もそうだが、社会問題になることもある。岩淵さんの文にも書いてあるが、僕が昔から不思議に思っていた言葉があるのだが、「結構」である。僕の中では、まあ他にもこう思う人が大勢いると思うが、「これは結構良い」というたいへん良いという意味と、「もう結構」というこれ以上はいらない否定の気持ちという意味の二つが混同しているのである。つまり、僕の中の小さな混乱である。しかし、さすがに頻繁に意味が変わるということはない。まあ僕はたいへん良いという方をどちらかというと多用するが、いまだに意味が混乱してしまう(笑)。
第二の理由として、日本の文化に根づいた慣れ親しんだ言葉には愛着があるからだ。
最近は日本の言葉を外来語に変えている場合が多い。例えば、「バックアップ」、「ミスマッチ」、「オンライン」・・・などと数え切れないほどである。
しかしこれでは、本来の日本の言葉を忘れられてしまっている。また、そうすることによって日本語の愛着心がなくなり、発展をしなくなってしまう。
確かに社会や時代に合わせて言葉を変えていくことも大事であると思う。
昔と現在では現在の方が考え方が正しいこともある。そうなると言葉をどんどん変えていかないと混乱してしまうのだ。だけれども先程も述べたとおり、逆にどんどん変えていくと日本の文化に根づいている言葉を潰してしまうことになってしまう。つまり、日本の文化を潰していることと同じだ。なのでやっぱり、言葉をポンポンと実態に合わせて変えていくべきではないと思う。
ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。
日本の言葉を変えたところで、それが誰もが理解できるような言葉になるわけではないのである。何回も言うが、混乱しないためにも、文化を残すためにも安易に言葉を変えることはいけないのである。今の言葉を大切に使うこと。それが大切だ。
講評 hira
今回も自分の実感を上手く引き出せていますね。言葉は生きものと言われます。生きている人間が使うのですから、新しい言葉が生まれたり、意味が変わってきたり、本来の使い方から離れてくるのは自然な流れなのでしょうね。
■要約はいつもポイントを押さえて、わかりやすい。
■実例では自分の疑問を表現できました。言葉への理解が深められましたね。第二段落の理由の実例としては、変えることで混乱を招くことの意に加工するといいでしょう。
■IT関連など外国発の物に関してはどうしても外来語に頼らざるを得なくなりますね。鎖国時代と違って(笑)、グローバル化している現在は、ますますその傾向が顕著です。ただ、「ミスマッチ」のように日本語で良さそうなものまではどうかと思いますよね。
■日本文化に言及してまとめられるあたりは流石です。力が付いてきていますね。
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