創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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死というもの はっしー
人は二足歩行で手を開放し、その手に道具を扱う役割を持たせ、それを発達した大脳で成業すると言う方法によって、急速に強い優勢な動物になった。人は強くなったために狩る立場に立つことはあっても狩られる立場に回ることはほとんどなくなった。だから自分より強くて速い相手に狩られることはそのまま極端な不幸であると言う単純な認識にこりかたまってしまっている。喰われることとは、あるいは死ぬこととは、個体の中に宿る個としての意識、連続的な意識の喪失である。このことから私は、死を極端に恐れないようにしたほうがいいと思った。
一つ目の理由は、死を恐れてびくびくしながら生きることで、何もいいことは起こらないからである。例えば死が間近になった(余命一ヶ月のがん患者)人などは、ベッドの中で苦しみながら死ぬよりも、外に出てのびのびと残りの命を全うしたい。と思って生きることで普通の人の数倍前向きになれる。つまり世の中の人間は、死という締め切りを恐れて毎日を生きるために、「うつ」などの病気になってしまうのである。
そして二つ目の理由死を恐れると「現在」がないがしろ、おろそかになってしまうのだ。本当に死を恐れているのならば、死が自分に訪れてしまう前に、今やりたいことをきちんとやろう、一日を全うしてやろうと思うはずである。要するに現代人は中途半端なのである。それを改善するためには、データからもわかるように、自分は大体?才で死ぬなどを知っておいてそれに向かって目標を立てることが必要だと思った。例えば、日本では女性が84歳まで生きていられるから、64歳までは仕事に打ち込んで、それから20年間は自分の趣味に興じることにしよう。など言った具体的な目標を立てることも、また大切だと思う。
確かに、死を恐れるということは、動物が生きていくうえで、仕方のないことだと思う、しかしそれも度が過ぎれば自分にとって害のあるものになってしまう。「存在するものには、いいか悪いかとかを言う前に、全てそれなりの理由がある。」と言う明言があるように。死は多少なりとも理由があり、避けることのできないものである。これらの事から、私は、死というのは狂句単に恐れるものではなく、それを受け入れることが大切だと思った。
講評 jun
忙しい一年でしたね。でも、充実していたことと思います。
来年も、勉強も部活も作文もはっしー君のペースでがんばってね。期待しています!
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