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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   鏡   ノンキィ

 農業は、きわめて恣意的な営みである。農耕も含め、芸術などの文化的な営みの中においてだけ、人は自然を自分のコントロール下に置いたような気分になる。しかし実際、私たちは自然を手なずけるどころか、それに翻弄させられるばかりだ。
 小学校5,6年生のとき、クラスで一人一株ずつ稲の苗を栽培した。バケツの中で稲を育てるという趣旨のものだったが、夏休み前に各自の家へ持ち帰られた苗の中で、九月一日まで生き残ったのはごく少数であった。しかし思い出せば、初夏にぐんぐん背丈の伸びた稲を見たときの感動は、その後すぐに薄れてやがて消えていったような気がする。植物を育てるとき、その懸命な姿は私たちに本当にたくさんの感動を享受させてくれる。だが今私の身の回りを見ると、目に付く植物はポトスと花瓶に生けた切花だけである。生命の芽生え、伸びてゆく姿や枯れてゆく様子。それらほんの些細なことに対する発見に、現代を生きる私たちは鈍くなってはいないだろうか。発展し続ける機械化の荒波の中で、それに翻弄されずに生きてゆくために私のなすべきことは一体何なのだろう。(主題)
 より速く、画一的にそして大量に。こんなモットーの下に歩みを進める機械たち。インターネットを通じて人々にサービスを売る今日のIT産業。これらほんの百数十年の間に急激に進化を遂げた文化に伴い、今や農業でさえも近代化が目に見えて及ぶ領域となった。干ばつや冷害に耐えうる品種の改良、機械による耕作時間の大幅な減少は、技術の向上の賜物としかいいようがない。消費者の様々な要望が、叶う時代となったのだ。寒さに手先がかじかむ日でも、スーパーへ行くと真っ赤なイチゴが並んでいる。けれど、そんな光景を目にして疑問のひとつも感じなくなった今日の日本人に、そしてその欲の深さに末恐ろしさを感じることがある。私の祖母が若かった頃は、季節ごとに店の色合いがガラッと変化したそうだ。だからこそ当時の人々は旬の素材を味わう嬉しさを知っていた。また、家の外に広がる畑で農作業を手伝う中で、自然に対する感謝の気持ちを忘れなかったという。冷凍食品やファストフード、レトルト食品が多くの家で常備される今、日々口にするものに、少しでもいい、関心を示してみよう。きっとどんなに小さなことにも人の手で曲げられた部分があるはずだ。(方法1)
 もちろん現代の科学技術の発展は、私たちに計り知れないほどの恩恵をもたらしてくれる。私たちがその恵みを全て放棄することは現代において可能だといえるだろうか。そんなことは、できるはずもない。自給自足、晴耕雨読。そんな言葉を実現できるのは、時間と経済力と人脈に何不自由ないほんの一握りの人間だけである。更に、もっとも注目すべきは農業の近代化が、私たち自身が望んだ結果だということだ。過去からの人々の願いが技術を向上させた。これから農業がどのような発展をするか、そんなことは誰にも分からない。ただ一つ確かなことは、人類の文化を築いてゆくのは人類だということ。私たち自身の手によってのみ、左右されうるということだ。ダイナマイトの発明で有名なノーベルは、それが人を殺める武器として使用されることに苦悩し続けたという。だが、彼が作ることを望んだからこそダイナマイトが発明されたことに代わりはない。自然が作り出せないものを人間の手が構築する。だからこそそれは偉大だと評されるのだと思う。科学の進歩の恩恵なしでは私たちは暮らせない。しかし、これから先科学がどのような道を歩むかということに、無関心になってはいけない。(方法2)(伝記)
 このように考えてみると、一番の問題は革新と保守、そのどちらか一方に比重を置きすぎていることだ。人によっては革新派、保守派意見が分かれるところではあるが、片方に偏ることはとても危険なことではないか。“私たちの幸福が、他の人々の不幸に支えられているのであってはならない”。私の幸せ、あなたの幸せどちらも成り立つにはどうすればいいか。同じように、二つの相反するものはそれぞれがお互いの比較材料とならなければならない。他方と比べてみて初めて気付く点はたくさんあるはずだ。これからの時代、私たちのなせることは、近代化の産物と昔ながらの作物の、両方をまんべんなく選び取り、常に問題を訴えてゆくことではないだろうか。(主題)(表現)

   講評   nara

 近代化・機械化は私たちが望んだものである。そのとおりだね。だからこそ、望んだものの結果をチェックしていく責任もあるはずだけれど、実際はどうか? 機械化されていることも気にかけないくらい、鈍感になっているようだ。なので、長文筆者のような行動をし、意見を発信する人は注目を浴びるし、そうすることに多大なエネルギーが必要となる。題名の『鏡』に「お互いを映し合う」という意味合いが込められているとすれば、それがなされていないというメッセージがノンキィさんから提示されているのだね。
 「季節によって店先の色が変わる」というのはいい話だ。現在のように食物が通年で店先・食卓に上るのであれば、「初物を食べると寿命が延びる」という話も出なくなりそうだね。機械化の目標とした「画一化」は、四季においても力を発揮したということになりそうだ。
 総合化は難しい、というか、「両方を採り入れ……」というところに落ち着くね。ノンキィさんも気づいているように、多くの問題は、バランス感覚の欠如・偏向が原因になっている。そこにストップをかけることができるのは、何なのかということを、常に考えなければならないのだね。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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