創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
自然への謙虚な姿勢 ビーバー
農業は、きわめて恣意的な営みである。土を耕す仕事は自然と調和したエコロジカルな行為と一般には思われているようだが決してそうではない。恣意的、といって曖昧なら、人間が自然を自分の都合のよい方向にねじ曲げる行為、といったらいい過ぎか。だいたい、野菜、という概念からして人工的なものである。人間の管理下に置かれたもののうち、栽培されることに甘んじた植物もあったし、断固としてそれを拒否し、野生の状態でなければ生育しないことを死をもって示した種もあったろう。私たちの農作業は、「文化」からはほど遠いところにあった。まったく、自然を手なずけるどころか、自然の大きな力に翻弄されるばかりである。(要約)私は自然に対しても謙虚な姿勢を持つような人間になりたいと思う。それには方法が二つある。
まずその第一の方法は、自然を甘く見ずに敬うことである。私は少し前、「キャッチ・ア・ウェーブ」という映画を見たが、その中でもやはり自然に対してどのような心構えを持つべきか、を示す内容の言葉を聞いた。その時は実感が湧かなかったが、その後学校の行事で海を泳いだ時は自然の過酷さをリアルタイムで思い知った。その日はいつもより寒くて波も高く、嫌な予感のする日だった。波が高いとは言われたが、実際に泳いでみるとずいぶん波の力は強かった。私の班は最初だったが、波が高くなってきたからとのことで後半は距離が短縮され、私達の泳いだ距離が一番長かった。浜に戻る時に波が強すぎて酔ったという人も続出した。最後は波でゴーグルを飛ばされるほどだった。自然はやはり表情を変えると恐ろしい物なのである。
その第二の方法は、自然と親しく触れ合い、自然の様々な局面を知ることである。レオナルド・ダ・ビンチの伝記を読むと、彼は幼少の頃は自然と遊んでいた、と書かれている部分がある。昔は虫などの絵を描いていたとも言われているが、どちらにしろ自然とは触れ合っていたのである。これはおそらく自然のことを理解する一つの方法だと思う。自惚れや傲慢などと読み取れる絵は一つも記憶にはない。自然に関して理解するには、こうした謙虚さも必要になってくるのである。
確かに、人間が自然を管理することはある程度可能なことだ。かの有名な信玄堤もその一例である。しかし、「行動するためには、多くのことに無知でなければならない。」という言葉に表されるように、どう行動するにしても身の周りの自然に対する態度と同じように謙虚でなければならないのである。傲慢になっているとかえってこちらが弱くなってしまうし、対人関係では相手を傷つける恐れもある。人間が強い存在であるためには、常に自然に対する、それだけでなくそれ以外の全てに対する謙虚な姿勢が必要になってくるのである。
講評 nane
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
|
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)
| |