創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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自信 ビーバー
小学校の頃から論説文を読んでいると、このような話が多く書いてある。よく外国で事故を起こしてそのときに謝ってしまい、訴えられて不利な立場にたたされ裁判で敗訴した、などという話だ。私はその理由は「日本人と外国人の主義の違いがあるからだ」というのはとりあえず知っている。日本人はすぐに謝り、外国人はどちらが悪いか決着がつくまで言い争う。向こうの主義では「謝って解決するのなら警察は何の役にも立つわけがない」となっている。ひどい場合は贈り物を持って見舞いに行ったところ賄賂として訴えられそのまま賠償金まで取られてしまった、という例もあるほどである。このような惨事を招く前に、私は自身の持てる人間になりたいと思う。それには2つ方法がある。
その第一の方法は、常に自分の行動に自信を持つことである。まず日本人はかなり世界でも珍しく謙虚な国民だと言われている。だが、外国ではこの性質のお陰でかなり利用されている(?)のである。一番謙虚かどうかがはっきり分かるのがテストの予想点である。かなり自分の取った点数より上の点を予想している人からかなり下の方の点数を予想としてあげる人まで、人それぞれである。私は自分の点数は少し低めに見る方なのだが、多分国民性からして謙虚に下の方の点数を挙げる人が多いと思う。人のことなのだからとやかく言う必要は無いのだが、自分にも言えることで、もう少し自分に対して自信を持ってもいいと思う。でも結局自信を持つまでに思いきってできる人はそうはいないだろうが、とりあえず自分を信じることは自分の成長にもつながりいいと思う。
その第二の方法は、国際交流を積極的に推し進めていくことである。明治時代には岩倉使節団の派遣を皮切りに欧化政策が進んでいったが、その時から多分こういう国際間トラブルが頻発するようになったのだろうと思う。海外のものを取り入れることによって日本人も強くなったのだろうと思う。軍隊も外国のものを取り入れて応用することによって強化してきたわけだし、現在にもその外国の技術はある程度生かされている。(伝記)国際間交流はやはり外国の物に触れて新鮮な感じを得るためにも必要だと思う。現に私の学校ではそのようなイベントは中学三年の夏ごろ、場合によっては中学一年の夏休みからある。このように、外国に触れておくのは大切なことである。
確かに自分に自信を持ちすぎる、つまり自信過剰になると「ナルシスト」だの「でしゃばり」だの定番の罵詈雑言が飛んできそうである。しかし、「自分に自信を持つというのは決して自分自身に満足して周りから浮くということではなく、自信を自分自身の成長の糧にして進歩していくことなのである。」という言葉に表されるように、自分に自信を持たなければ進歩はない。かと言って持ちすぎても後退する。自分に自信を持つというのは、自分の成長過程の重要な背骨のような部分なのかもしれない。
講評 nane
書き出しの状況実例は、こんな感じでいい。要約よりも自由度が増して、面白く書けるでしょう。
謙虚さの実例としてテストの点数の予測を挙げたのはユニーク。なるほど、日本人は、お互いに承知で実際よりも低めに言うからね。大人どうしの時候のあいさつでも、「もうかりまっか」「あきまへんな」という形が多い。
外国に行く機会というのはこれから増える。日本人も、自然に国際感覚を身につけていくのかもしれないね。
自作名言は難しいけど、この調子。もう少し短くした方が印象に残りやすいか。
「自分に自信を持つというのは、自分の成長過程の重要な背骨のような部分なのかもしれない。」も名言になりそう。
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