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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人間による「人間の再発見」   タクミコ

歴史と現代とをつなぐ楔はいうまでもなく人間であり、もし歴史書がその時代の生きた人間の活動を読者の前に形象化するだけの力をもたなかったならば、それは死んだ歴史叙述である。日本の多くの歴史家は自分の目の前にいる人間を見る眼がまずしくひからびているから、巨視的な構成力に欠けていたり、人間と人間とのぶつかりあいが範疇と範疇との関係としてしか描かれない傾向にあったりして歴史を殺している。歴史を学ぶことは人間をたえず再発見してゆくということだから、歴史書だけでなく優れた伝記作家の作品を読むことが非常に大事なことだ。我々は、あまりに専門的に分化し、あまりに理論の整合性を喜びすぎて、人間をトータルに把握するという一番肝腎のことを忘れてしまっているということに問題がある。
その第一の原因は、大学の入学試験にある。日本ではほとんどの欧米諸国の入学試験と違い、「大学」の入学試験というよりは「ある特定の学部」に入るための試験となっているため、文系・理系というコースが明確化されている。さらに、国立大学受験者はまだしも私立大学を受験する者は自らのコース選択に従って、例えば文系の場合は英語・国語・地歴、言い換えれば選択したコースのいわゆる「専門分野」の科目のみを受験する。そのため、学校の定期試験などでも自分の受験科目以外は「ステル」という発想が生まれてしまう。私の学校では高校1年生の時には全員が同じ科目を勉強し、高校2年生の段階で文系・理系、そしてさらに世界史選択者・日本史選択者・物理選択者・生物選択者に分かれる。大学入試が待ち構えているため最終的には受験型に合ったコース選択をしなければならないが、高校1年生で猶予期間、つまり、自分の興味を再発見し適切・不適切を再認識できる期間が与えられていることは大変ありがたいと感じた。しかし、名門高校の中には高校1年生の時点で文理の決定を要求され、高校入学と同時に受験科目に沿った「入試のため」だけの勉強が学校で行われるそうだ。そのような学校の生徒がどのようにして自分の進路を選んでいるかは知らないが、もし私がその立場にいたならば随分悩みそして不安を抱えると思う。確かにそのようにしなければ名門大学への確実な進学率は得られないのかもしれない。しかしそれは高校の問題ではなく、そのような体制を作ってしまった大学入試自体の問題であり、それは視野を極度に狭めてしまう可能性のあるものだと思う。
われわれの人間観察力のにぶさの第二の原因は、高度経済成長期にある。日本経済があまりに目覚しい発展を遂げたため我々の眼は経済の成長のみに向けられ、それ以外の部分は眼に入らなくなってしまったのだ。学問においても経済の発展に役立たないもの・関係のない分野は軽視され、さらなる経済成長をいかにもたらすかということばかりが期待されていた。しかしながら、「活用されないものは退化する」という法則が歴史や自然界の中で必ずみられる。現に、人間には尾がない。進化論から見れば、人間の尾てい骨とはもともとサル種の動物であった人間が尾を使用しなかったために退化していき、次第になくなって形成されたものである。しかし、使用しないから退化するというのはあまりにもったいないのではないだろうか。また、学問に限定して言えば、それは我々の先に歴史をたどった様々な人物が何十年、そして時には何百年・何千年もかけて確立していったものなのであり、高度経済成長期に経済関連の学問が発展するということからも分かるように、その時代の背景を映し出しているものである。ここでもう一つ「法則」を思い出さらなければならない。それは、前にあったものは必ずいつか繰り返される、ということだ。つまり、時代背景は繰り返されるのであり、従って発展する学問もそれに伴うことが多い。だから専門化しすぎてしまうことは退化をもたらして「もったいない」のだけでなく、また、退化してしまった学問が必要となった時代にその学問の発展を遅らせてしまう可能性もある。
確かに、「専門」をもつことは大事であり、狭く・深く理解することは必要なことではある。しかし、それだけに集中することは人間自身から離れていくことを意味するのであり、それは人間と人間の行動を把握するという、我々にとって一番大切であることを忘れさせてしまう。我々は現在、様々な面で細分化された社会に暮らしておりそれが「普通」となってしまっているため、その社会によって次第に非人間的方向に向かっていることを感じがたい。また自らの意志で人間観察力を高めることは大変なことかもしれないが、社会全体の体制を変えていくことで徐々に変化をもたらすことは出来るはずである。学問とは、人間を支配するものではなく人間がつくったものである。我々は人間存在の最も根源にあるとも言える人間と人間との交流や人間の活動の中で学問を生み出したのであり、初心に戻って再発見を求めることこそ真の発展につながるのかもしれない。

   講評   hota

 力作でした。2047字は、言うまでもなくタクミコさんの字数の最高記録ですね。これだけ書いてあっても、それほど冗長な感じを受けないのは、やはり文章力があるということだと思います。特に、各実例が、かなり的確に書かれていることがよいですね。

 項目もすべて網羅しているし、言うことありません。あえて一言つけ加えるとするならば……。「入試」というものの科目選択によって、「捨てた」教科の学問のすばらしさを知る権利を奪われているのかもしれない、と考えると、やはり今の日本の入試制度はやや理不尽と言わざるをえませんね。

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