国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   一体感   すいーとぽてと

 大相撲を初めて見に行ったとき、びっくりしたことがある。それは取り組み中、観客席が四六時中ざわざわしていて、呼び出しから仕切り、立ち会い、組み合い、そして勝負までの次第に盛り上がっていくはずの緊迫感が全然無いということだ。演ずるものと見るもの、つまり演じられている舞台とそれを鑑賞する観客とを空間的に分離すること、そういう制度に慣れてしまうと、大相撲とか歌舞伎の楽しみ方に、はじめは戸惑う。一九六〇年代になると、今までの沢山の隔たりがあった芸術鑑賞の仕方の反逆として、観客を演劇に巻き込んだりする実験演劇が行われるようになった。私も何かを鑑賞するときは、演ずるものと一体となり感動できるような受け止め方をしたい。
 そのための第一の方法として、観衆が参加することを恐れないことだ。私は、部活動で演劇をやっている。自分の一つ一つの動作に対して、観客の方が笑ってくれたりするとその後の演技がとてもやりやすくなる。これは、演じる側と観客が一体となるからだと思う。私が中学二年生の頃の文化祭では、役者の二人が観客席に行き、話しかけるシーンを作った。私はそのとき照明を担当していたので観客席の方にいた。話しかけられた方はびっくりしていたが、役者が舞台と客席を行き来することによって多少の隔たりが消えたように感じた。また、以前演劇を見に行った時、観客席の真ん中の道を役者が通った。これによって自分もその話の世界に参加しているかのように感じ、わくわくしたのを覚えている。このように、見られる側が見る側に、作品に参加できるようなきっかけを作り、見られる側はそれに積極的に参加することによって一体感が生まれるのだと思う。
 そのための方法として第二に、指導者の側があまり自分から様々に用意をしないことだ。明治維新は、沢山の若い人々が協力して、欧米の文化をどんどん取り入れた。そして近代化を成功させることができた。一人の人が権力を握り、周りは指示に従っているだけだと、偏った考え方になってしまう。皆で協力することによって沢山の考え方が生まれ、いい方法が見つかる。また、沢山の人が成長できると思う。
 確かに、主体と客体とを分離して考えた方が、混乱が少ない。しかし、「議会に期待しない国民は、議会を非難する資格を持たない。」という名言がある。このように、深い感動を得るためには観客と一体となるような演出の仕方ができるような生き方をしたい。

   講評   kira

 すいーとぽてとちゃん、こんにちは。演劇をやっているすいーとぽてとちゃんらしい、一歩踏み込んだ意見文になったね。
 歌舞伎や、大相撲、大衆演劇や、寄席といった芸能においては、日本はずっと共に楽しむかたちをつくりあげていました。観客の反応や、掛け声、ときには野次によって、役者も成長したところがあるようにも思います。西欧から、鑑賞という概念が入ってきて、私たちはあまりに静かな聴衆になったのではないでしょうか。騒いでいるのは、下品だととらえるような向きもあります。
 主体と客体があってあくまで一方的な流れになるものと、一体となって創り上げるものと、どちらが創造的で、感動的で主体的であるかというと、答えは見えてきますね。
 全てにというわけにはいきませんが、私たちは物分かりのよい大人しい観客を卒業してもいいように思います。


 

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