国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   道   JOKER

「大事なことにやっと気付いた」「目に見えるものだけじゃないんだ」小中高と、決められた道順の上を歩く教育。これは、当たり前の日常として目にしている道であると思う。大学は、自らが作り上げていく力を養う教育。荒れている道だったり、全く何もない所だったり、誰もが道だとは思わない道である。果たしてどちらがいいのだろうか。もちろん、このステップをこなすことで社会に出られる能力が身につくのだが、実際のところオリジナルの方がいいのではないか。以前、道に沿った教育を重視し過ぎて、大学に行き自由に考える授業となると、何も出来ないという話を聞いたことがある。レポートのテーマが「自由」で、何を書いたらいいのか?何でテーマがないんだ?と混乱してしまったらしい。これを聞いて私は、早い段階から自分の頭で考えて過ごすべきだと感じた。
 そこで考えられる方法として、第一にスピーチのように自分の言葉で話すことを多く経験することだ。中学時代、選択授業でとある班活動をした。その内容は、班員の名前の漢字を使って一つの文章を完成させるというものだ。あまりいい例ではないが、作文読男という名なら、”とある男子が作った読売新聞は文学賞をとった”といった感じである。これがとても面白くて、他の班との交流会で聞いた中にもユニークなものがたくさんあった。その後にも先にも、このような授業はない。だが、自分たちの知恵を振り絞り考えた文章を発表するという経験は、プラスになったと思う。もともとある何かから作り上げていくことより、一から始めることの方が自分を大きくすることが出来るのではないだろうか。
 そして第二の方法は、教育の現場で自分で決断する力をつけられるような環境を整えることだ。決められた時間割の教科書を持って登校し、そして時間通りきっちり授業を受ける。私もこれを当たり前としていたが、大学などでは選択科目がある。文系理系にわかれるといった違いが出てくる。その方が身になることが多いのではないだろうかとも思うようになってきた。歴史に残る戦争でも、早急な決断によっておさめられた勝利がたくさんある。その反面、たくさんの犠牲が生まれてしまったことも否めない。「雨垂れ石をも穿つ」(ことわざ)のように、社会に出たらたくさんの時間があるわけではない。限られた時間の中で自分の考えを理解し、決断することが出来るようにならなければならない。それを早々と身につけるためにも、私は常日頃から教育していくことが必要なのだと思う。
 確かに、決められた道の上で個性を見出すのもいい。しかし、基本形を崩して出来たものに個性があるのではなく、一から作り上げたものが本当の個性である。私はそう思う。どんなに真面目に、寄り道をしないで一本道を歩いているからといって、必ず大成するわけではない。時には道を外れて、違う景色を見て、それから感じるものがあれば一生ものの財産になるはずだ。やはり、自己流の道を歩くために自分で考えて過ごすべきだ。

   講評   nane

 与えられたことを素直に吸収することももちろん大切だけど、日本では、小中高の教育と、その面が行き過ぎているのかもしれないね。本当の勉強は、大学に入ったり、社会に出たりしてから始まるのかもしれない。そこでは、自分で創造的に考えることが重要になってくる。
 中学時代の、名前で文章を作る授業はいい例。こういう授業がたまにあると新鮮だね。
 「雨だれ石(岩)をも穿つ」をこういう形で引用してもいいけど、もう一工夫して、「確かに、雨だれは岩をも穿つ。しかし、人間は雨だれではない。決められたことを繰り返すだけではないところに、人間の創造性がある」とか何とか書いていくといいよ。
 「道を外れて、違う景色を見て」あたりの表現は、JOKERさんらしい。


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