創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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周りと自分 いへゆ
社会が組織化されると、そこには、権力者の安全と満足をもとめる欲望が支配的なものとなっていった。私たちの支配者は、社会的な交換価値という千変万化する記号のかたちにとって私たちを支配している。そして、文化のコードは、私たちひとりひとりの全存在を支配しつづけている。私たちは無意識のうちに「人の手」の加わらない自然の中に逃れ、文化のコードによるすさまじい搾取からすこしでも身をまもるかも知れない。
たしかに、文化のコードにしたがうことは良いという意見もある。たとえば、私の場合ではテストだ。私の通っている学校は毎朝テストがある。そのテスト成績が、そのまま通知表に影響する。だから、毎朝あるからといって「別にいいや。」と簡単に捨てることのできるものではないのだ。そのために、毎日、次の日のテスト勉強をしなければいけない。このように、毎日勉強する習慣がつくために、毎朝テストがあるのだと思う。それに、文化のコードにしたがわなければ、社会のなかにいるのが難しくなるのだと思う。たとえば、髪型のことを考えてみても、今と昔ではだいぶ違いがある。私のお母さんたちの時代のときは、女の子の髪型は、だいたいの人がおかっぱだったと思う。でも、今の時代で髪型がおかっぱという人はあまりいないと思う。今は、美容院にいっても、
「今回はどういうふうに切りましょう?前と同じで、おかっぱにしましょか?」
という会話はあまり聞かない。いまは段をつけたり、前髪をななめにわけたり、ワックスつけたりする。そうしなければ、まわりから、
「あの子ちょっと見た目ダサいよね。」
というふうに、周りから言われたりすると思う。このように、まわりとうまく付き合っていくためにも、文化のコードにしたがうのは大切だと思う。
しかし、文化のコードにしばられるだけではなく、自由になるのも大切という意見もある。もし、私が毎日毎日、テストで良い点数をとるために勉強しているとする。そうすると、朝のテストがおわっても、
「あぁ。また明日もテストあるやん。帰ってから今日もテスト勉強しなあかんねんなぁ。」
という感じになって、なんの達成感もなく、毎日勉強しなければならなくなるのだ。そういうのがずっと続くと、自分がなぜこんなに、がんばって勉強しているのか分からなくなってくると思う。だから、たまに休みをいれることで、
「よし!明日からも、休みの日に気持ちよく遊べるようにがんばろう!」
と思えるのだと思う。前に、イスラエルでは全員一致の裁判は採用しないということがあるという長文を読んだ。この話のように、みんなが同じことを考えるのは不自然で、一人か二人は違う考えを持っているはずだというように、みんなとおなじではなく、違うことをするのは良いことなのだ。
たしかに、文化のコードにしたがったり、自由になったりすることは良いことだ。しかし、『花はだれが見ていなくても咲いている。』という言葉があるように、自分らしくあるのが一番だと思う。
講評 huzi
完璧! おもしろいし、意見の組み立ても非常にしっかりとしています。
次回は進級テスト。この調子なら、余裕ですね。
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