国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   昔話にかくされるもの   なるなる

私たちは文学を文字にたよらず、声によって伝統されるものだと考えている。昔話のような文学作品は語り手が、おもに声によって表現し、それを聞き手もども楽しむことができる。昔話は、なんといっても本来語り伝えられてきたものなので、語って聞かせる話のそなえていなければならない基本的な条件を満たしている。また昔話は、一般大衆の文学であったため、取り扱うテーマは「普遍的」「根源的」で、その表現形式は簡単でそぼくな心の持ち主にもよく分かるようになっている。今日、もっぱら子どものための文学になっているのは興味や心理や理解能力に合うためである。昔話には単に語ることから生じた表現の形式や民衆の文学であることからくる内容の普遍性だけではなくて、なにかもっと大きな力がかくされていると思う。
 小さかったころは誰でも一度はお母さんに昔話を読んでもらったことがあるはずである。私はよく「親指姫」を読んでもらった気がする。親指姫の好きなところは怪我をしていたツバメを毎日看病していたために、春になって元気になったツバメが南の国につれていき花の国の王子様と結婚することができた。又、「親指姫」と似ていると思うのが「かさ地蔵」である。雪の降る中、貧乏なおじいさんがかさ地蔵に親切に売れなかったかさをかぶせてあげたことで、その夜、地蔵たちが大金を家の外に置いていってくれたのである。「親指姫」と「かさ地蔵」のなにが似ているのかというと、どちらも親切にすれば最後は幸せになるというところである。私はこの本を読んで、日ごろからに人への親切をこころがけようと思うことができた。
 「親指姫」以外の昔話からも私は学んだことがある。それは「ありとキリギリス」である。「ありとキリギリス」というのは、ある夏の日、ありは冬になってからのことを考えて暑い夏のうちから食べ物をたくわえていた。それに対しなにもせずにギターを弾いたりして、気を長くしてのんびりとくらしていると、冬になったときありは楽しく過ごしていたがキリギリスは食べものに困ってしまった。というはなしである。その学んだことといのは、すぐに分かるように日ごろからの努力が後の幸せにつながるということである。私はこの本を読んで日ごろから後に後悔しないように子どものうちから努力しておこうと思うことができた。
 昔話というのはすごく短くて、読んでもなんにも感じられないイメージがあるけれど、実際はそんなことは決してないと思う。昔から、昔ばなしをお母さんがちいさな子どもによんであげる習慣があるのはことわざで「三子の魂百まで」というように小さいころに聞かされた昔話がその子の価値観や人生観・世界観の基礎になるのである。だから、昔話は読み手も語り手も楽しめて小さな子どもに好かれる短い話の中に出来るだけ必要となるの教訓をふまえている話なのである。人間にとって、昔話とは楽しみながらもひそかに学び知る本なのである。

   講評   tama

 よくまとまった作品です。しっかりと考えて書くことができました。
 同じ話でも、小さい頃に読み聞かせてもらったときと今では、感じ方が違うかもしれませんし、新たな発見もあるかもしれません。親しみのある昔話を、これからも折に触れて読んでみてもいいですね。


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