低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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仲間内での専門知識 蝗騎手
専門的な知識は、その仲間内でしか力を発揮することは出来ない。自分の得意分野である職業に就いたなら、その知識は最大限に引き出される。だが、まず何よりも先に一般常識を身につけるべきなのだ。人の目を気にせずに自分の好きなことに夢中になる…というのでは、あまりにも非常識すぎると思う。しかし、今の社会は常識などよりもそういった専門的な知識を過大評価してしまう傾向がある。私は、そんな社会が問題だと思う。
その原因として第一に、専門を細かくしすぎたことである。私の学校では、二年になると文系・理系にわかれて授業をする。当たり前だが、時間割から教室、何から何まで違う。その選択した中から、また新たな必修科目として文系は古典と数学(数学を選択することはないが)、理系は生物と物理に分け、そして芸術教科も選択して授業を展開していく。文系理系をわけることは分かるのだが、そこからまた更に細分するのはどうかと思ってしまう。過去に、小中では普通に区切り無く勉強していた教科が、高校に行くといきなり消え去る。そこで専門知識を育てることも大切だとは思うが、そこから生まれる弊害にもっと目を向けるべきだと思う。
そして、第二の原因は経歴を重視する社会のあり方だ。どんなに素晴らしい人生を歩んでいても、それに人格が伴っていなければ意味がない。踏まれても踏まれても負けずに、いつもいつも同じように咲く花のように、たくさんたくさんの人生経験をしているからこそ生まれてくる人間がいるはずだ。(…笑)苦労や困難を知らずに育つより、冷たい風に打たれる方が強くなれる。それなのに、大学や家柄などといった表向きなことだけで全てを決めてしまうのには疑問が残る。
確かに、専門的な知識が自分自身を救ってくれることは多々ある。しかし、本来なら知識ではなく、人間関係や常識といった、元々正しいとされているものが救ってくれる。今の時代では少し価値が薄れてきてしまっているかもしれないが…。そんな時だからこそ私は、評価するものの焦点が人間関係などといった必要なものからずれてしまっている社会が問題だと思う。
講評 nane
専門家の問題は、現代社会の問題としてこれからもときどき出てくると思う。
△「あまりにも非常識的すぎる」は、ちょっと感覚的でオーバーかなあ。
文系と理系に分かれて教科を選択するというのも能率的なやり方かもしれないけど、高校生のころまでは基礎知識としてすべての教科を満遍なくやっていった方がいいよね。日本の高校教育のレベルは高いから、高校で全教科をカバーしていれば、どこでも通用する知識人になれる。
「踏まれても、いつも同じように咲く花……」というのは、歌詞かな。こういう引用の仕方は面白い。
専門家の行き過ぎの問題は、これからも具体例を探しておこう。アマチュアの意見が核心をついていることもあるからね。
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