国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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小学3・4年生
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中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
「少年のころの桜は」 コムギコ
「桜」の散り初めのころのある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するまでのあいだの状態を、ぴたりと表す言葉がないのに気がついた。これと似たような光景を、私は信州で見たことがある。そしてそれを日記に書こうとしてたちまち言葉につかえたものだ。自然はついに言語の及びえないものであろうか。もし日本語にそれがなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味すると、前と同じことを考えさせられた、日本語になくてはならない言葉のように思えるのだが。
〈〈こうせい〉〉要約
「いってきまーあす。」
と家を出た。犬の散歩に行くのだ。中学に入学する少し前の、春休みだったと思う。いつもの散歩道(通称どぶ川沿いの道)の歩道を見たら、桜が満開だった。
「あっ」
とも言えないで、いかにも普通そうにして歩いていた。だけれど心は(よく咲いたな〜)という思いでいっぱいだった。でもたまたま桜の話題だったけれど、ほかのものでも作者の言う通り、ぴたりと言葉がないなと思う。上を見ながら、歩いているとすぐ、チリン、チリン と自転車のベルの音が来るので前も見ながら歩いていた。みたいものが見れない、これは、前の人がじゃまで、ものが見えないもどかしさと似ていると思う。犬なんかも新鮮なにおいがあるかのように、クンクン、クンクンにおいをかいでいた。いつもより桜が満開のせいか、なんとなく、歩いている人も多かった。
〈〈だいざい〉〉前の話 〈〈ひょうげん〉〉たとえ
人間にとって、言葉にならない感動とは、どんな人から見ても、すぐわかる。言葉を失ったり、顔の表情でわかったりもする。作者が見た、桜や、カラマツもそういう感動があったのだろうが、ぴたり、ピタリとはまる表現はなかったのだろう。人間の言葉にならない感動とは、そうやって、ぴたりとはまる言葉がないときの場合にちがいない。そんなときに、言葉を失うのは、ぴたりと当てはまる、言葉を探しているときにちがいない。
〈〈しゅだい〉〉一般化の主題
講評 muri
コムギコ君の今年の花見は、犬の散歩中だったのですね。前方を注意しながら、犬のようすを見ながら、桜の花もちゃんと見る… なかなか大変そうですが、ちゃんと桜の美しさはコムギコ君の胸に届いていたようです。
●体験実例:今年の花見(散歩?)のようすを書くことができましたね。そのときのようすを、様々な視点で書くことができたと思います。付け加えるならば、このとき見た桜がどんな木なのか(並木道?1本だけ?)とか、何分咲きだったのかなど、桜のようすもあると体験実例を読む人にとってイメージがつかみやすくなります。
●一般化の主題:「言葉にならない感動とは、どんな人から見てもすぐわかる」という一般化の主題には、感心しました。確かにそういう時の人間は、みな同じように顔の表情でわかるかもしれません。言葉にならないものこそが感動であるということがいえますね。
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