低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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新たな書 泪
日本語は、今まで日本民族の間でしか使われていなかったために、内側の視点でしか見られたことがない言語だった。しかし今、外国人の日本語を学ぼうという勢いが強まり、日本語も外の視点から見られるようになってきた。植木屋を十年も入れなかった庭みたいにめちゃくちゃに枝がのびている状態だった日本語が、外からの刈り込みにより人工的な手入れがされた「整理された言語」になる可能性も出てきたのだ。これを聞いて、日本語が変わってしまうと拒む人もいるだろうがそれは違う。これは、今まで使ってきた日本語に、その外側に人工的に刈り込まれた新たな日本語が追加されるということなのだ。今の日本語のままでは外国人に教えるのは難しい。日本語を国際普及させるためには、切り込みが必要かもしれない。
以前友達数人で会話をしていたときに、ちょっとした議論に発展してしまったことがある。会話の中で友達の一人が「無理なくない?」と言ったのだが、それに対して他の子が「いや、無理あるでしょ!」とツッコミを入れたのだ。すると他の子が「え、今の『無理がない』って意味じゃないの?」と言い出した。…その場に居た全員、頭の中が「???」である。そして、彼女の『無理なくない?』は『「無理ないのでは」=無理ない』なのか、それとも『「無理なくはない」=無理ある』という意味なのか…という激しい議論に発展してしまったのである。今この文章を書いている私も書きながら訳がわからなくなってきた…。とりあえず、そもそも『無理なくない?』という言葉自体が日本語としておかしいんじゃない?
変な例と思うかもしれないが、これに似たような出来事は私の周りでよく起きている。この前なんてファーストフード店で、社会人5人組の間で私達と同じレベルの議論が勃発しているのを目撃してしまった。テレビ番組では芸能人がいつも日本語間違えているし、今私が書いているこの文章も日本語がおかしいところがたくさん(…深く詮索はしないで下さい)。そう、日本語の難しさは、それを母国語とする日本人でさえ正しく使えていないというレベルだ。
と言っても「だから日本語はもう駄目だ!なくそう!」なんて言いたいわけではない。私は日本語のその複雑なところがが大好きだ。この難しさがおもしろい。ただ、今の日本人も理解し切れていないような状態では、とてもじゃないけれど、外国人に日本語を教え切れない。私は日本語が好きだ。だから、外国人にも日本語を知って欲しい。そのために『人工的な日本語』ができるならそれもいいと思うのだ。
言葉とは歴史書だ。その国が、今までどうして来たのかが現れる。今、日本語という歴史書の中に、外国との交流という新たな歴史が書き加えられてもいいんじゃないだろうか。
講評 nane
第一段落を、単なる要約ではなく、自分なりの言葉で考えたことを書いたところがよかったね。
「無理なくない」は、いいエピソード。「無理なくないという言葉はおかしくなくないだろうか」などと書くと、ややこしくて面白い。(笑)
ファーストフードの社会人のエピソードは、同じことを説明風に書くよりも、具体的な新しい話を入れるといいかも。
「言葉とは歴史書だ」は、いい一般化。こういう大きい感想が結びに入ると安定する。「日本語という歴史書の中に、外国との交流という新たな歴史が書き加えられてもいいんじゃないだろうか」も、比喩を生かしたいい表現。
▲……じゃ→……では(話し言葉にならないように)。
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