創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   ノンフィクション   ドラゴン

 ノンフィクションの書き手は、在るものを映そうとし、フィクションの書き手は、在らしめるために創ろうとする。ノンフィクションには限界があるのではないかという問いにまとわりついている霧がうっすらとだが晴れていくように感じられる。つまり、限界があるのは当然ではないか、という地点に辿りつくのである。そこに一定のルールがある以上、可能なことには限りがある。全能の文章のスタイルといったものを求めることが無理なのだ。とすれば、最も大事なことは、ノンフィクションには何が可能で何が不可能かの境界を見極めることのはずである。ノンフィクションのライターにできることは、事実の断片を収集することでしかない。加賀乙彦のいう「真実」とやらに到達することは不可能であり、事実の核といったものを掘り出すこともできない。だが、それでどうしていけないことがあろう。断片と断片のあいだはついに埋まらない。わかることもあり、わからないこともある。それをそのまま提出してどうしていけないか。いや、むしろその方が、『在る』ものとしての事実の質感や大きさをくっきりと伝えることになるのではないか。事実の断片を断片として提出する。ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関するひとつの仮説にすぎないのだ。
 事実をありのままに伝えることは大切だ。報道の場では、真実か否かということが大切になって来る。情報の開示といった言葉もよく耳にする。しかし、たとえ「百聞は一見にしかず」といわれる。映像のメディアでも、どこをどれだけどう映すかによって、真実と離れないとも限らない。写真で見たときを実際の人物がぜんぜん違ってたりして、びっくりすることもある。そのくらい、難しい問題だ。
 創作を加えてより真実に近づくという考え方もある。言いたいことをより強く相手に伝えるためには、多少の表現の付け足しはあっていいだろう。作文に書くとき、気持ちの表現の部分で創作はあるはずだ。江戸時代、町人の心中事件やあだ討ちを題材にした浮世草子なるよみものや、劇がもてはやされた。人々は、実際にあった悲恋やあだ討ちをさらに 誇張した作品でこそ、涙を流して共感したのだ。「赤穂浪士」は今でも名作だ。
 確かに、真実をありのままに伝えることも、 創作を加えてより真実に近づく方法もどちらも大切だ。しかしもっと大事なことは「カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わねばならない。」という言葉があるように、相手に伝えるという行為に責任を持っていくことである。

   講評   kira

 ドラゴンくん、こんにちは。しっとりと雨の季節に入りそうです。

 6月6日の進級テストも頑張ろう。


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