国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   美しき自然   PINPA

美とは本来、自然の造化による創造物の性質を言い表す言葉である。もとより、それは美と言う性質を与えようと自然が望んだ結果与えられたのではなく、自性としてそうなり本質的に備わっている性質である。自然の美の本質は美醜の対立を超越したところにあるのだ。しかし人間の造形美は、ただ生み出すと言う自然の無心の美を、人間の創造に容易に許してくれず、自ら身の事件を低い段階に限定する状態となったのである。
 6月になり、太陽も少しずつ夏の太陽へと衣替えを始め、もうすぐ暑さや日焼けと私たちを不安にさせる季節が今年もやってくる。夏は暑い!だから嫌だと言いつつも、夏の良さを私たちは知っている。また反対に冬は寒い!と言いつつも、冬の良さを私たちは知っている。自然には悪いところも、もちろん目に付くが、その季節特有の美しさは華々しくまぶしいくらいだ。特に日本のような温帯で四季がある国では自然を肌で感じることが出来るだろう。だからこそ私はもっと人間の母である自然から美を感じ認めていけるような人になりたい。
 その第一の方法として、自然と打ち解ける機会を積極的に持とうとすることである。私たちは無意識にも旅行というと自然多き残る場所に行きたがるように自然に対してプラス的に見ている。しかしひとつ勘違いしているような気もする。なぜなら自然と関わるには旅行や休日のお出かけと何か特別視しているように感じるからだ。自然とは元々ある基礎、基盤であり演劇でいう舞台である。そして我々人間こそが舞台で演じる登場人物であり受動的動物である。それならば自然との交流をいつもとは違う非日常ではなく、日常から自然に足を踏み入れる勇気を持たなければならない。空がある。花がある。太陽がある。そして四季それぞれの空気がある。私たちの身の回りにはもっと身近に自然があふれているのである。なにも特別な自然を求めるのでなく、周囲で自分の生活の一部となっている自然にもっと近づき目を向けることが大切だ。
 第二の方法としては美に基準を設けない社会体制をつくることだ。好きな食べ物と嫌いな食べ物が当たり前にあるように、人それぞれ美意識には差がある。そこがロボットではない人間の感性の面白さでもある。しかし実際教育現場では子どもが黒で書いた海の絵を描き、先生に海は青だと絵を破られ書き直させられるというような、美に対する無知な出来事や人が多く存在する。美しいことはもちろん悪いことではない。しかし、その美に上手い下手の境界ラインをつくるべきではないのである。オリンピックのシンクロやフィギュアスケートなど美の競技に得点を付け競い合うことが問題になったのも同じ理由だ。人間が自然の一部であるように、シンクロなども人間による美である。美に対する基準は更なる新たな美への発展の幅を狭めざるを得ない。
 確かに切磋琢磨、美への精神技術を対抗させることによって、新たな美を見つけるまたは編み出していくことも重要であり素晴らしいことである。しかし私たちの周りには元々ある、人間の手ではつくることが出来ない自然があふれている。自然美とは探してあるようなものなのではなく、ふとした瞬間に現れるものなのである。私たちの心の傍にいつもある明かりのようなものである。灯台下暗し、その明かりの大小ではなく美の根本に気付いたならば私たちの美に対する価値観は確実変化していくであろう。また美と隣り合わせに生きることができるだろう。

   講評   kira

 PINPAさん、こんにちは。すぐそばに、あたりまえにあるものに気づくことは難しいですね。家族の愛情もそうであるように、自然の美しさにも、ふだんは無関心になっているようです。
 「わが宿の いささ群竹 吹く風の 音もかそけき この夕べかも」(万葉集 大伴家持)
 春の夕べを詠ったこの一首を、なぜだか私はよく口ずさみます。家の戸口のささやかな植え込みに吹く風の音に、季節の情感を感じる。こんなゆとりを、現代人は持ち合わせていないように思います。PINPAさんが「特別な自然を求めるのでなく、周囲で自分の生活の一部となっている自然にもっと近づき目を向けることが大切」と指摘したのは、こういったことなんだよね。
 美に基準をもうけないことは、価値観の多様性を認めることですね。自由な発想からこそ、何かが生まれますね。そういえば、今年のミスユニバースでは日本代表が選ばれましたが、何十年か前の日本代表とは違った美人であると話題になっています。選出の基準も年々変わっているそうです。そうであるとすれば、いつになっても変わらない「健康美」といったものの価値が大きくなるように思えます。
 美とは「私たちの心の傍にいつもある明かりのようなもの」という指摘もすばらしい。気づくことに価値があるんだね。
★「自然多き残る場所に行きたがるように自然に対してプラス的に見ている」→「自然が多く残る・・・・プラスに見ている」
★「受動的動物」→「受け手という存在」

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