国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自然のなかでの「叙美」   Mura-Mi

 数年前だっただろうか、『博士の愛した数式』という小説が映画化されて、かなりの人気を得た。この小説に登場する「博士」は元大学助教授の数学家であり、まさに数字や数式と愛を育む、という人物である。ひとつの証明を書き終えたとき、「博士」は、「静かだ」と口元につぶやく。しかしその証明がアマチュア数学誌に載って「博士」が賞金を得たとき、まわりの人間は素晴らしいことだと褒め称えても、「博士」は「私は神様の手帖をほんの少し覗き見して、それを写しただけなのだよ」という。
 この態度に隠れているのは、「博士」の、数学—すなわち自然美であり、神様の手帳にある秩序だった記述—に対する敬意でありそれに跪く心である。また、作者である小川洋子がこの小説を作るきっかけとなった数学者、藤原正彦は『国家の品格』のなかで、日本を建て直す上で重要視されるべきものは、「自然に跪くこころである。」と述べている。私たちはもっと、自然の中にある美しさを尊重するべきである。
 そのために、もっと自然の偉大さを感じられる機会がつくられるべきだ。私の学校は昔、茂った森の近くにあり、学校の中にあるちょっとした池には、毎年カエルがおびただしい数のオタマジャクシを生み、女子生徒たちに恐怖を与えたと先輩から聞いている。しかしその森が伐り倒されると、そういうこともなくなって、その池には小さな生態系を失ってからどんどんと汚くなっていっている。(昔はその池に落ちることは笑い事で済んだが、今ではそれは汚すぎて考えられない。)きっとそういう小さなひとつの生態系、すなわち自然を感じられれば、人の心も大きくなるのだと思う。その森の伐採以来少しずつ、私の学校に流れる時間が早くなり人々がせこせこと動くようになったのは、無関係ではないと私は思う。誰がえさを与えるでもなくたまに校舎の中にまで入ってくる一匹の黒猫の存在が、ほんの少しの救いであるように思える。
 私がオーストラリアに言ったとき、「Curtain Fig」というものをみた。これは大きな一本の木に、ある特殊な桑の実が寄生し、数本の枝をたらしているのであるが、その枝の数が半端でなく、カーテンがかかっているように見えることから「Curtain Fig」と呼ばれているのである。もちろんこの木ができるまでには私たちが生きている時間とは桁違いの年月が流れている。そしてその堂々たる姿をみて、自分たちのちっぽけさを感じた。オーストラリアにわたることはなくても、そのような経験のできる機会を多く用意されるべきである。
 次に、学校の教育、とくに数学の教育を、自然美を体感できるようにすることも重要な方法である。先に述べたように、数学というものは本来自然美にあふれているものである。化学や物理は、地球でない場所やものすごいミクロな視点では、私たちの知っている法則が成り立たないこともあるが、数学は違う。どこでも三角形の内角の和は180°であることは変わらないのである。数学はそのような自然美にあふれている。どのような数式や定理も綺麗な自然美の調和や秩序に守られていて、それらは平等に美しいはずなのである。しかし、学校教育で使われる数学の教科書というのは、定理や公式が強調されすぎて、そのような美しさを前面に出したものではない。本来数学は、突き詰めれば定義を知っていることだけが必要なのである。
 それはもちろん、数学に限った話ではない。本当に美しい国語とは、声に出したときに美しいと感じられるものだと思うし、音楽や美術もそうだ。音楽において教えるのは、もちろん拍にあわせて音程の正しい音楽が優先されるが、その一方で心を無にしたときにポッっと生まれる音楽が存在するということを教えなければならない。そのためには、そのような、一種の「哲学」を教えられる教員が必要とされる。
 確かに自然を征服することでひとつの均整を作り上げることも美しい。しかし、自然であり創造物である人間はその中に存在することでその自然の美しさを感じるべきである。自然の中の一部分であり不完全である私たちが、その自然を征服し完全である美を創ることができるということの矛盾に、心のどこかで気づかなくてはならないのだろう。

   講評   nane

 書き出しが印象的。自分の読んだ本をもとに書く書き方は、このあとの小論文のテーマでも使える。入試の小論文では、野球の実例よりも使いやすいかも(笑)。
 身近なところにある生態系を感じる、というのは、いい方法だね。自然の中で、小さな生き物が互いに一生懸命に生きている姿を見ると、みんながんばっているなあと思うものね。
 Curtain Figもいい例。今日は、いろいろ個性的な例を書いたね。
 数学の美しさも、いい話。数学に美を感じる人を、数学的センスのある人と言うけど、そういうセンスは日常生活のほかの場面でも生きてくるからね。これからの教育は、芸術だけでなく、数学も国語も、美的な要素をもっと重視するようになると思うよ。
 今回の作文は力作。どこかに応募しよう。
 しかも森リンも高得点。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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