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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   トンネルを抜けると・・・   PINPA

 科学技術は地域や民族の差異を越え全地球に広がり、その傾向は「硬い普遍性」をもっている。それに対し文化は「柔らかい普遍性」を含んでいる。ヨーロッパでの科学技術は根本的に対立することなく、文化と同心円をなしていた。しかし日本では科学技術と文化は、その中心をずらして併存しつつ、同一のエポックを形成したのである。あるいは文化が色々の中心を併存せしめ、そのひとつとして科学技術を内につつんだのである。
 私たちが暮らしている日本。この日本という国は周りを海に囲まれ、他国と接していない孤島である。その孤島である日本でさえ、食糧問題などを例に挙げてみても外国との交流なしでは毎日が成り立たない。(もちろん江戸時代には鎖国もあったが)そこで外国の技術や文化を取りえながら、いかに日本らしさを残し浸透させていくかがカギとなる。いくら発展した高度な外国品を取り入れても、その土地で役に立たなければ意味がないのである。そのためにも私は外国のものも、その土地に合わせて吸収できるような人間になりたい。
 そのための第一の方法として、外見だけにとらわれず、内面的意味の重要性にも着目することだ。私たちが人生を送る中で、なにかにつけて選択を迫られる場面というのはある。その時に私たちが直感的に選ぶのは人間の心理上外見が良いもの、つまり第一印象によって決定される。(第一印象というのは見てからのたった6秒間で決まるらしいので、私たちの人生というのは必然的に6秒で決まっているのかもしれない笑)。しかし、本当に外見だけにとらわれてよいのだろうか。私が思うにAというものはBには役立つかもしれない、しかしCには役立たないかもしれないというように、人それぞれの価値観と必要性によるものだと考える。例えば今日本ではいわいる金髪、金パが流行っている(最近は廃れてきているが)。しかし、その金髪も元々は某アイドルの真似事に過ぎなかったし、その某アイドルも欧米のブロンドに憧れたただの真似事だった。とにかく私の言いたいことは、髪やおしゃれに関しても、内面的価値の重要性が分かっていなければ同等で役に立たないということだ。他人がしている素敵な外見だけにとらわれて、してみたおしゃれも自分には似合わなければ本当のおしゃれとは言えない。本当に自分にあった、そして自分にとって必要なものを取り入れる必要があり、何でもかんでも取り入れる必要は全くないのだ。
 第二の方法としては日本文化を推進するような社会をつくることだ。よく留学生の帰国後のコメントにあるが「歌舞伎って何?と聞かれて困った。」などというのがある。確かに京都の人が金閣に行ったことないが、近畿から遠く住んでいる人というのは行ったことがあると言うような話も良く聞く。このように『灯台下暗し』と言って良いのか分からないが、私たちは己の文化について知らないことが多々ある。アメリカは移民の国だけあって、愛国心というのが強い。日本では、第二次世界大戦で日本が天皇に対する忠義を最もした考えに反対し、無理に強制的に日本に対しての愛国心を持つのは良くないと言う意見もあるが、ある程度の知識や愛国心を持っていなくては日本という国は滅んでしまうだろう。また国に対する愛こそが、他国との交流にもつながり平和につながるのならば、それは推し進めるべきだとも考える。
 確かに加工なしで、純粋に他を取り入れていく柔軟性も大切である。しかし本当に自国を愛し発展させたいのならば、基本、基礎を崩さず、あらゆるもの対抗していくことも大切である。数学の発展問題を解くのに基礎を固めなければならないのと同じである。環境に適応した生物だけがこの地球上では生き残っていくように、私たちも『らしさ』を残しながら上を目指さなければならない。発展とは古き物を捨てるのではなく、古き物を補修する作業である。その補修に使う道具として他から借用するのであって、決して取り替えるのではないのである。孤島の日本、その特徴を生かしつつ上へとつながる道を追求しなくてはならない。その道こそが新しい自国へのトンネルなのだ。

   講評   kira

 PINPA さん、こんにちは。文化論としては、文化の多様性を認める文化相対主義の立場と、自民族中心主義の立場とにわかれるかと思います。日本はその民族性や宗教観から、ちょうどその中間をいくような方法で、優れた外国文化を吸収して発展してきたのですね。しかし、今は、反省すべき点も見えてきたようです。
 上っ面だけの模倣は、簡単ですが方向性も見えず、長く続くものではないようです。流行にばかり走れば、日本文化もどこかへ滅んでしまいそうです。
 だからこそ、今「日本文化」の理解が必要なんだね。国対国を、人に置き換えて考えても、己を知らない人、自己紹介できないような人とは、友だちになれませんよね。
 「発展とは古き物を捨てるのではなく、古き物を補修する作業である。」と文化の輸入をとらえました。健全な姿は、どこか植物の接木に似ていますよね。台木の特徴に穂木(うえに接ぐ木)の特徴をプラスしていきます。このとき、どちらも成熟していなくてはまっすぐ育ってはいきません。足元が肝心なようですね。

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