国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   自分の感じ方   Dr.Km

 物事を判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔をすることがある。だから、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてそこからえる直感を大事にすること、それが大切なのだ。知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚を忘れてはいけない。作品と対するのは、この世界でただ一人の自分です。たとえ、百万人の人が正反対のことを言ったとしても。自分が感じたことは絶対なのです。しかし、その絶対に安易に寄りかかってしまうと、人間は単なる独断と偏見に落いってしまう。知識にとらわれないで物事をありのままに見ることは大切だ。
 理由は、ありのままの、そのままの、その物の本当の良さが分かるからである。私は、喧嘩をしたばかりの友達がいて口を聞いていなかった。しかし、美術の授業のときに、その友達の描いた絵が、その友達の描いた絵だとは知らずに、ほめたたえてしまった。それをきっかけに仲直りすることができた。もし、それがもともとそいつの描いた絵だと知っていたら、その絵に何の感情ももつことは、出来なかっただろうとおもう。そんなになるほどの喧嘩だったの?と思う人も中にはいるだろうが、そのときは、そういう心情だったのである。
 二つ目の理由は、その物を自分らしく受け取ることが困難になってしまうからである。初めて見るものを見たりして、感動するのは、自分の中でいろいろな夢が沸いてくるからだ(たぶん)。その前にいろいろな知識が沢山、頭の中にあったりすると思考よりも記憶を引き出すことしかせずに、新しいインスピレーションが沸いてこない。そのため何の感動もせずに通り過ぎていってしまう。私は、小学校の頃の修学旅行で、事前に調べすぎて、「タシカコレ、10メートルイジョウアルンダッケナ。スゴイナ」みたいな感じにしか歴史的建造物を楽しめなかった覚えがある。本来とても感動するべきものにそこまで感動できなかった、というのは、とてもさびしいことである。
 確かに知識がなかったら、何も出来ない。しかし、知識に偏りすぎると、何にも感動することは、出来ない。「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言があるように、知識と自分の感覚をバランスよく使えるようになることが、大切なのである。だから、知識にとらわれないで物事を判断することが、大事なのである。

   講評   miri

 全体のバランス、内容、表現ともに秀逸です。
特にひとつめの理由に使った体験実例は、なんともタイムリーなできごとです。同じできごとがあっても、このようにうまく使えるかどうかは書き手の手腕にかかっているわけですが、これは大成功ですね。
 
 一作ごとにめざましい進歩です。この調子でがんばりましょう!
        

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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