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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   文化   

 ヨーロッパにおいては、科学技術の硬い普遍性と文化の柔らかい普遍性とは根本的には対立することなく、いわば同心円をなしたのである。それに対して、日本近代がヨーロッパ近代の受容をともなって成立したとき、両者は同心円を形成するわけではなかった。硬い普遍性と柔らかい普遍性とは、いわばそれぞれの中心をずらして併存しつつ、同一のエポックを形成したのである。あるいは、柔らかい普遍性がいろいろの中心を併存せしめ、そのひとつとして科学技術を内につつんだのである。その多中心的な複合構造が、自己同一性を基本とするヨーロッパ近代と日本近代の構造上のちがいだともいえる。日本は外国の科学技術や文化を取り入れる時に自分の国の文化や伝統の形に合わせて取り入れるべきだ。
 第一の方法としては、どんな事柄に対しても表面だけをまねないことだ。日本は外国から開き戸を取り入れた。しかし、単純に元の内側に開く形で取り入れるのではなく、外側に開くという形に改良して取り入れたのである。日本人には玄関で靴を脱ぐという習慣があるが、この習慣をやめてまで開き戸をそのまま取り入れることはしなかった。もともとの相手を招き入れるというよさは失ったものの、うまく定着したと言えるだろう。
 第二の方法としては、自分の国の文化に対する理解を深めるべきだ。我々は外国に目を向けすぎるあまり自国の文化をないがしろにしている気がする。もし、外人に日本の文化、例えば、歌舞伎などについて教えて欲しいと言われたら答えられるだろうか。私はおそらく答えられないだろう。自分の国の文化について知らなければ、新しいものを取り入れることはできないだろう。
 確かに、良いものを取り入れる柔軟性は持っているべきである。しかし、文化とは、まねるものではなく、発展させるものである。やはり、外国のものを土台に合うように取り入れ、独自の形で表すべきである。

   講評   kira

 周くん、こんにちは。文化論としては、文化の多様性を認める文化相対主義の立場と、自民族中心主義の立場とにわかれるかと思います。日本はその民族性や宗教観から、ちょうどその中間をいくような方法で、優れた外国文化を吸収して発展してきたのですね。
 上っ面だけの模倣は、簡単ですが方向性も見えず、長く続くものではないようです。「開き戸」の例はとても印象的ないい実例ですね。日本は引き戸でした。ドアのかたちになる時に、靴を脱いで上がるという習慣に合わなかったのね。そこで、ドアを外に押し開けるかたちで取り入れたということですね。そうですね。たしかにホテルなどで客室に案内される時には、ドアを押してもらっているなあ。
 日本風に取り込むためにも、「日本文化」の理解が必要なんだね。国対国を、人に置き換えて考えても、己を知らない人、自己紹介できないような人とは、友だちになれませんよね。日本を知らない日本人は、認められるものではないでしょう。己を知ることは大切です。
 「文化とは、まねるものではなく、発展させるものである。」と文化の輸入をとらえました。真似からはじまって、その先があるんだね。それは、どこか植物の接木に似ています。台木(日本文化)の特徴に穂木(うえに接ぐ木つまり外国文化)の特徴をプラスしていきます。このとき、どちらも成熟していなくてはまっすぐ育ってはいきません。足元が肝心なようですね。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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