創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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比喩 хЯIИх
落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい願いごとのように
この詩のいのちは、「比喩」にあると言える。「月とスッポン」ということわざがある。二つの物があまりに違いすぎる、不相応だという意味である。月とスッポンという非常に遠い物を結びつけて、「月とスッポンのようだ」としているために、長くわたしたちの印象に残ることとなったと思う。比喩を、日常の会話でも効果的に使うと、表現が生きてくる。肉体的技術の動きにも、比喩は大きな働きをする。日常の会話の中などで、比喩を生かしていくべきである。
第一の理由は、比喩を会話などで生かすと相手にその物の様子が伝わりやすいからである。
一つ例を挙げる。
長く降り続いていた雨もようやく止み、雲の切れ間からやわらかな光が差してくる。ふと空を見上げると、ビルと歩道橋の間、その僅かな隙間からクレヨンで一気に引いた線の様な虹が顔をのぞかせている。歩道橋を駆け上って空を見渡すと、その華やかな橋の端から端までを見渡すことができた。
街中をてこてこと歩いていた時に、実際にあった出来事である。
この文章の中には、一つのものを二つの捉え方をした比喩が入っている。『クレヨンで一気に引いた線のような虹』と、『華やかな橋』である。ただ、『虹』とだけいってもその虹の様子はよく分からない。しかし、『ほにゃぺけのような』、この場合で言う『クレヨンで描いたような』である。こうすることによって単語である虹が、クレヨンで一気に引いた線のような虹、となって、目の前にあらわれるのである。
第二の理由は、表現が生きてくる、という事だ。
例えば、小さな子供が走り回って遊んでいるところを表現するとする。これを、
・ 子供が走り回っている。
と表現するか、
・子供がまるで子犬のように走り回っている。
と表現するか。ちなみに、これを森リンで採点すると、上の文が1.2ポイント、下の文が約1.4ポイントとなる。(※上の二文の内の一文だけでは採点が不可能だったため、同文を必要最低字数になるまで繰り返し、結果の点数を繰り返した回数で割ったものである。)たかが0.2、されど0.2。これをうまく使うことによって、文が生きるか死ぬかが変わってくるのである。塵も積もれば山となる、だ。(生…+0.2 死…−0.2)
確かに、数字を使って表す方が適していることもある。しかし、『辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。』
という名言があるように、比喩で文章を分かり易くする事は大切である。
講評 takeko
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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