国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   ぼくの読書体験   ヨリー・ヨッシー

 みなさんには、まだ字が読めないころの読書体験はあるだろうか。筆者にはある。雑誌だったか、その付録だったか、とにかく兄の本だ。しかし字は読めない。だからこそ、想像を絶するほどおもしろかった。つまり、本を読むというのはそこにあるものをこちらへ運ぶような機械的な作業ではない。場合によっては、作者の意図をもこえて、われわれの内に何かを作り上げていくことなのだ。理解できない書に行き当たると見当違いの解釈をすることも多い。だがこれこそが読書の楽しみなのだ。
 ぼくには字が読めないころの読書体験はないが、小さいころ読んでも分からなかった本が今になって分かったという例がある。それは「こどものとも」の「カニのニカ」だ。小さいころはただ、「まるで笑い声のような変な名前」と思っていただけだったが、このごろ逆から読んでも同じに読める回文だと分かったのだ。竹やぶ焼けた。軽いきびんな子猫何匹いるか。そして内容についても、「ただ切っているだけ。」とおもっていたのだが、あれはニカの悪い事をしようとしているが、結局人の役に立ってしまうというようなことを通じて、ニカが良い人になっていくというような意味もあるのかなぁと思った。こう考えると、子供の本も奥が深いんだなぁと思った。
 また母の話によると、母は子供のときに「がんくつ王」の子供向けにあらすじが書かれた本を読んだそうだ。それでも充分におもしろかったそうだが、大学生になって原本をほんやくした「モンテクリスト伯爵」を読んだそうだ。すると子供のころ読んだときは、主人公のエドモン・ダンテスの数奇な人生がおもしろいだけだったが、大学生になったときは社会的背景のことも分かり、まるっきり印象が変わったそうだ。ぼくは、いろいろな知識が付くと、ものの見方が「まるっきり」変わってしまうんだなと思った。
 読書とは、人間にとって知識を与えてくれるだけではなく、読む人の知識が加わると一層理解が深まるものだと思う。これからも新しい本を読みながらも昔読んだ本を読み直してみたい。

   講評   inoko

 ヨリー・ヨッシー君、こんにちは。
9月1週は進級試験です。●の課題で準備をしておきましょう。


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 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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